じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 西に沈む満月。3月15日の朝5時46分撮影。なお、天文学上の満月は3月15日の朝8時35分。また、この日記を書いている朝7時頃にはちょうど半影月食が始まっているが、すでに空が明るくなっていて、月自体の減光を感じ取ることはできない。満月が次第に欠けて新月になった時がいよいよ皆既日食だ。


3月14日(火)

【ちょっと思ったこと】

都はるみより山口百恵

 14日午後は全学の某委員会が開催された。この委員会の委員を2000年度から、また委員長を2001年度から仰せつかっているが、あまり長すぎるとマンネリ化の弊害が出ることから、4月からずっと今年度限りでの引退を口にしていたところである。

 委員会終了間際の挨拶の時には、引退には、都はるみタイプと山口百恵タイプがあるが、私は、山口百恵タイプの引退のほうがカッコイイと思っていると表明させていただいた。

 もっとも、全学の委員を一部退いたからといって、管理運営の負担が減るわけではない。来年度は新たに、全学と大学院と学部の留学生関連委員、大学院と学部の学生生活委員のほか、保健管理センターのメンタルヘルス協力委員になることが内定している。

【思ったこと】
_60314(火)[心理]脱アイデンティティ、モード性格、シゾフレ人間(4)

●上野千鶴子編『脱アイデンティティ』ISBN 4326653086

の感想の続き。

 さて、本書の序章では、エリクソンが「アイデンティティ」概念を初めて使った経緯、またそれが日本社会に浸透した経緯が詳しく紹介されている。『成熟と喪失』[1967]や『自我同一性』(Erikson[1959、邦訳は1973年]が刊行された頃はちょうど私が高校生から大学・学部生の時期にあたっている。当然、高校の倫理社会の教科書にはまだ現れていない用語であった。先日、関西の私鉄に乗っている時に隣の席で、受験生と思われる男子高校生が参考書を片手に「アイデンティティについて説明せよ」などと問題の出しっこをしていたが、確かにいまではセンター試験の現代社会の問題にも頻出するようになっている。なお、念のため調べたところ、1970年頃に刊行された心理学の入門書では、発達心理学の解説の中で「アイデンティティ」の言葉が使われている程度であった。

 序章の4〜5頁のところで、
人類学者の渡辺公三は、「ものを考え始めた時期」にこの翻訳に出会い、その後「この言葉(アイデンティティ)に対して二〇年近く一貫して……違和感」を感じていたと告白する。その「違和感」から、渡辺は『司法的同一性の誕生』[2003]という刺激的な書物を著すに至るのだが、...
と書かれてあるが、私個人も、じつはアイデンティティという言葉に違和感を持ち続けていた一人であることをここで告白しておきたい。

 序章のそのあとの部分で上野氏が
...「アイデンティティ」という概念は、エリクソンがフロイトから受け継いだものというより、かれ自身の発達心理学にとって中核的な鍵概念として、オリジナルに選択されたものだと言ってよい。
と述べておられる点(5頁)はまことにもっともであると思う。さらに上野氏が、エリクソンの自我同一性 ego identityと自己同一性 self identityの区別にふれ、
結局のところ、エリクソンが論じるのも「自己アイデンティティ」についてであって「自我アイデンティティ」についてではない。
と述べておられる点(6頁)も納得できる。

 上野氏はさらに、エリクソンのモラトリアム概念にふれておられる。モラトリアムに関しては2000年2月頃に、和田秀樹氏の『受験勉強は子どもを救う』に関連して意見を述べたことがある。私自身、例えば、就職先が決まらないために緊急避難的な身の置き場所として大学院進学を志す傾向をモラトリアムと呼ぶことはあるが、それを使うのは単なる外形上の類似性だけである。そうそう、私自身は、もともと、アイデンティティに限らず、エリクソンの理論全体に対して懐疑的なのであった。