じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
ヒヤシンス休息所(花が終わった水栽培や鉢植えのヒヤシンスを露地植えした場所)の今年の様子況。昨年3月15日の写真と比べると、青系統が少ないようだ。今年は寒い冬が続いたので、もともと開花時期の遅い青系統がまだ花を開いていないためではないかと思われる。
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【ちょっと思ったこと】
酸素水の謎 3月16日朝のNHKまちかど情報室で、「酸素水」の効用を紹介していたが、うーむ、なんだか、イマイチ信用できないという印象を持った。 番組によれば、酸素を多く含んだ水を飲むと、胃腸から酸素が吸収されて血液中の酸素が増えるみたいなことを言っていたが、これじゃまるで胃腸=呼吸器ではないか。それと、胃腸から酸素が吸収されるのであれば、炭酸水を飲んだ時は逆に二酸化炭素が吸収されることになるのか。よくワカランなあ。 番組の後半では酸素水を使ってイチゴなどの野菜を栽培すると根の発育がよくなるというようなことも言っていたが、このことと、人間が酸素水を飲むこととは全く別だろうが。鉢植えの植物を育てていればすぐに気づくことだが、植物の根はちゃんと呼吸している。根詰まりを起こせば根は呼吸できなくなって枯れてしまう。 いずれにしても、公共放送たるNHKがこの種の健康ドリンク?を紹介する以上は、科学的な医療効果をきっちり確認しておいてもらいたいところだ。なお、健康食品、マイナスイオン、環境問題全般についての有益な情報がこちらにある。ご一読されることをオススメします。 |
【思ったこと】 _60315(水)[心理]脱アイデンティティ、モード性格、シゾフレ人間(5) ●上野千鶴子編『脱アイデンティティ』ISBN 4326653086 の感想の続き。 まず、昨日の日記で、「自我同一性 ego identity」と「自己同一性 self identity」の区別にふれたが、とにかくここでは「自己同一性 self identity」を中心に考えていきたいと思う。もともと「Ego」というのは、フロイトが作った構成概念のようなものであり、精神分析学の前提を受け入れるか、もしくは別の形できっちり定義しなければ議論の俎上に載らない。但し、フロイトやエリクソンを離れても、発達心理学の研究テーマ、あるいは記述概念として「自我の発達」という言葉を使うことはできると思う。このあたり、 実のところ、フロイトの自我心理学に対してエリクソンのアイデンティティ概念が果たした貢献とは、この自己の構築性にある、と言ってよい。エリクソンは、フロイトの「自我」概念を、ある意味で脱本質化した。だからこそアイデンティティの概念は、これ以降社会学に受け継がれていくことになったのである。このようなアイデンティティの構築性からは、あとで論じる「アイデンティティの形成」や「アイデンティティの管理」のような概念が生まれるまではあと一歩であろう。というのは、まことに明晰な分析であると思う。 序章の中頃からは、フロイトの「自我」心理学、パーンズのパーソナリティ・システム、バーガーのアイデンティティ論、ゴフマンとアイデンティティ管理、さらに構築主義のアイデンティティ理論...と、アカデミックな論述が続く。その理由について終章で上野氏は ...いささか衒学的で煩瑣にみえようとも、冒頭にアイデンティティの理論について学説史的な遡及をおこなってみたのも、社会科学がその概念ツールをつくりだすことで、あらたな「社会的現実」を生みだしてしまう、という逆説的な自己言及性を示したかったからでもある。そして、社会科学のなかでもとりわけ社会学ほど、この「アイデンティティ」という概念装置に対して貢献のある(責任のある、と言い換えてもよいが)学問分野はない。と述べておられる。そうか、ということは、心理学は、「アイデンティティ」という概念装置に対して責任ある貢献をしてこなかったということか。ま、心理学というのは、本質主義的といっても実際は構築主義的であったりするし、けっこう無節操に概念を組み換えたりしている。今回の上野氏の序章はそういう点でたいへん勉強になった。なお、序章で取り上げられていたなかでは、「ゴフマンとアイデンティティ管理」が、私にとってはいちばん取っつきやすい研究であるように思えた。但し、今回はテーマが拡散しすぎるので、これ以上はふれないことにする。 |