じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 最近の洋蘭事情。パフィオペディラムは1月30日掲載と同じ花。長期間楽しめるのがよい。青紫の花はジゴペタルム。いずれも長年にわたり自分で育てているのが自慢。



3月16日(木)

【思ったこと】
_60316(木)[心理]脱アイデンティティ、モード性格、シゾフレ人間(6)自己物語論が社会構成主義に飲み込まれるとき(1)


●上野千鶴子編『脱アイデンティティ』ISBN 4326653086

の序章に引き続き、

●浅野智彦:第二章 物語アイデンティティを越えて?

の感想を述べる予定であったが、第二章を拝読している中で、関連文献として

●浅野智彦 (2004).自己物語論が社会構成主義に飲み込まれるとき ケネス・ガーゲンの批判的検討. 文化と社会,(4),121-138.

という論文に先に触れておく必要があることに気づいた。少々脱線するが、いったん『脱アイデンティティ』から離れて、2004年の浅野論文についての感想を述べさせていただくことにしたい。

 冒頭に記されているように、この論文は「...社会(心理)学者ケネス・ガーゲンの「自己」に関する議論をとりあげ、そこにみられる物語論と社会構成主義との関係を検討する」こと、そして、「この作業を通して、自己物語論の(社会構成主義には還元されない)固有の意義は何であるのかということを確認」することを目的としている。

 ケネス・ガーゲンについては、私自身も、こちら
  • Gergen, K. J. (1994): Realities and relationships; Soundings in social construction. Cambridge: Harvard University Press. [永田素彦・深尾誠(訳). (2004). 社会構成主義 の理論と実践――関係性が現実をつくる, ナカニシヤ出版.]
  • Gergen, K. J. (1999): An invitation to Social Construction. London: Sage. [ガーゲン(著) 東村知子(訳)(2004).あなたへの社会構成主義, ナカニシヤ出版.]
という2冊の書籍(原書と翻訳書)を取り上げたことがあり、その後も、何冊かの本や論文を取り寄せて読んでいたところであるが、読んでいるうちに、同じ人が書いている論文であるはずなのに、何だか言っているのが違うのでは?と疑問を持つようになった。今回、浅野氏の2004年の論文を拝読してやっとその謎が解けた。ガーゲン自身の考えは10年単位、いやひょっとすると数年単位で、刻々と変化しているのであった。

 永田素彦・深尾誠両氏の2004年の訳書あとがきによれば、ガーゲンはもともと実験社会心理学者として知られており教科書も執筆していたが、1973年に「Social Psychology as History」をJPSPに発表したことが転機となり、徐々に、社会構成主義者として知られるようになっていった。今や社会構成主義の第一人者であり、同時に、最も痛烈な実験心理学の批判者と目されている。

 さらに同あとがきには
この劇的な研究関心の変化-----人によっては、変節とさえ言うだろうの理由を、彼に尋ねてみた(実際、前述の日本心理学会における講演後に、講演の感想などを幾人かで話し合っていたところ、このガーゲンがあの実験社会心理学者として有名なガーゲンと同一人物であることに気づいていない人がいたほどである!)。ガーゲンは笑いながら、しかし真剣に、次のように答えた。「自分としては、自分の研究関心がそれほど劇的に変化したとは思っていない。関係性を重視するようになったのは、社会心理学の意義を自分なりに徹底的に考えた末の、ある意味必然的な帰結だ」。
と記されている。そして、ガーゲンの進化(変節?)はその後も続いており、少なくともガーゲンについて言及する時には、それが何年の論文であるのかを明記しないと混乱のもとになるのは必至であると言ってよいだろう。

 浅野氏によれば、ガーゲンは自己物語(self-narrative)という考え方を重視していたが、1990年代以降の議論の中では、物語という概念は後景に退いてしまった。そして、自己物語という考え方が、社会構成主義にとってはむしろ障害物になる可能性をさえ示唆しているという。

 もっとも、いくらガーゲンが偉大であるからといって、その進化(変節?)に無批判に従っていたのでは研究者としては失格である。ガーゲンのある時期における貢献をしっかり認めつつ、その前提や進む方向に誤りがあればきっちりと批判していかなければならない。




 さて、浅野氏は、ガーゲンが社会構成主義をどのように定式化していたのかについて、1985年、1994四年、2000年の記述を簡潔に整理しておられる。これは、私のような社会構成主義の初学者にとってはたいへん有意義な情報である。その中で特に顕著な変化として知っておくべき点は、1990年代に入って道徳性の次元が追加され強化されていったことであろう。浅野氏によれば、これは、社会構成主義は相対主義・ニヒリズムであるという批判を受けていたことに対して、自分達をそれらから差異化する必要に迫られていたためであったようだ。

 ガーゲンは1990年代に入って(1992、1994)、ポストモダン的な物語概念に3つの欠点があることを指摘した(浅野、2004、129頁)。
  1. 物語を個人の内側にあるものと考えており、その関係的側面を見落としている
  2. 単一の物語を前提にしているため、物語の多様性を犠牲にしている
  3. 物語への帰依を強調しているため、物語の別様なあり方をみえなくさせている
 ここで物語概念におけるモダンとポストモダンとを区分する線は、物語の関係性・多様性・偶有性を考慮しているかどうかによって引かれているわけだが、これが1980年代と1990年以降で引き直され、結果的に、社会構成主義には還元されない自己物語論の固有の意義が見失われてしまったというのが浅野氏の論点であると理解した。

 次回に続く。