じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
ミニアイリス。まとめて植えるとなかなか見応えがある。種類は全く異なるのだが、個人的には「天藍竜胆」という花を思い起こさせる(出典はこちら)。
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【思ったこと】 _60322(水)[一般]ジェンダーフリー 3月23日付けの朝日新聞オピニオン欄で、「ジェンダーフリー」をめぐる最近の動きが紹介されていた。
ジェンダーフリー論議の難しいところは、それが、社会的な制度や教育と深く結びついているためかと思う。個人の生活スタイルにとどまるだけであるなら、男らしさ女らしさを追求したい人も、ジェンダーフリーを推進したい人も、みなそれぞれ自分が正しいと信じる道を選べばよい。しかし公的な場で何かを実施するとなれば、二者択一の選択を迫られることになる。 過激なジェンダーフリー教育によって男女同室着替えや男女同室宿泊が行われるようになったか、という点については、もっと証拠を揃える必要があるように思う。例えば、体育の時間前の男女同室着替えなどというのは私が小学校の頃にも行われていた。厳密に言うと、まず男子が先に着替えて外に出るという決まりになっていたが、なんで男子だけ女の子の前で服を脱がなければならないのかと文句を言った記憶がある。 2002年5月31日の日記に書いたが、カスタネット、ランドセル、靴の色などは、何も男女別にする必要はない。それから、クラスの名簿なども男女で分ける必要は全く無い。というか、少なくとも大学の学籍簿では男女は全く区別されておらず、そのことで不都合は起こっていない。 このほか、心理学の研究などで、何の理論的根拠もなしに何でもかんでも男女で比較するというのもかんがえものだ(2003年1月21日の日記参照)。男脳、女脳論議も同様(2004年1月17日の日記)。 もう1つ、学校でどういう教育をするかということと、その教育を受けた人が将来どういう考えをもつようになるかということは必ずしも一致しない。過激なジェンダーフリー教育を受けた人がジェンダーフリー論者に、あるいは、「男らしさ、女らしさ」を大切にする教育を受けた人のほうが「男らしい」男や「女らしい」女になるというわけでもない。むしろ、大人になってから逆の方向に走る可能性も高い。 そういえば、私の同窓生の中でたった一人だけ、中学・高校が同じクラス、大学の学部まで一緒という女性が居た。すれ違った時に声をかけあう程度で付き合いは全く無かったが、私の知る限りでは彼女は、少なくとも中学時代は伝統的な女らしさを大切にしたいと語っていたように記憶している。その後彼女は某大学の教授になられ著書もたくさん刊行されたが、まことに残念なことに5年ほど前に急逝された。亡くなられた時のニュースで、彼女はジェンダー論も研究のテーマにしており、アクティブに活動されていたということを初めて知った次第だが、中学時代からのことをある程度知っていた私としてはかなり意外であった。少し前に彼女の生前の著著を注文したところでもあり、いずれ、お考えの変遷のきっかけや経緯を確かめてみたいと思っている。 |