じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 大学構内の芝地で、ヒナギキョウの青い花が目立つようになってきた。この花の名前は、2年前の6月に教えていただいて初めて知った。
なお、ネットで検索したところ、一部のサイトでは「ヒギキョウ」と誤記されていた。山野草の仲間として「ヒメギキョウ」が紹介されているケースもあったが、確かなことは分からなかった。ちなみに「ヒメギキョウ=ベルフラワー」というサイトもあったが、ベルフラワーは一般には「オトメギキョウ」と呼ばれているようだ。


5月21日(日)

【思ったこと】
_60521(日)[一般]オーケストラ初体験

 日曜日の午後は、妻からの誘いでオーケストラの生演奏を初めて聴きに行った。オーケストラなるものを前回聴きに行ったのはいつ頃のことだったかなあと思い出してみたが、高校時代以降に、自分でチケットを買って聴きに行ったということは一度も無かったのは確かである。小学校か中学の頃に、東京・世田谷区民会館ホールで、音楽の授業の一環として「小牧神の入場?」と「ピーターと狼」を聴いた記憶があるが、あれは、「聴きに行った」という部類には入らないから、たぶん、今回が初体験ということになる。

 子どもの頃にピアノを習っていたことがあるためピアノ・コンサートは何度か聴きに行ったことがあるが、これまでオーケストラには縁は無かった。理由としては、そもそも体験したことが無いから「行動が強化される」という機会も無いこと、映画やドラマの音楽ならともかく純粋に演奏だけを聴くために出かけていきたいとは思わなかったこと、あと、私自身の特殊要因として、うっかり音楽を聴くと、スーパーの店内で流れるメロディであれ映画の挿入音楽であれ、そのメロディが四六時中頭の中を駆けめぐって思考活動を妨げるという悪影響が出ること(←従って、ふだん私は、音楽を聴く習慣を一切持たない)などを挙げることができる。

 今回の曲目は、
  • モーツァルト:交響曲第40番 ト短調
  • ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
の二題であった。いずれも、晩年に作られた曲として知られているそうだが、私個人はモーツァルトの曲の第一楽章以外は、記憶には無かった。

 モーツアルトの演奏の時は、打楽器やトランペット、その他、大型の吹奏楽器やコントラバスの奏者が居なかった。ああいう演奏形態は、交響楽ではなく管弦楽と呼ぶのではなかったかなあと思ったが、あとでウィキペディアを調べたら、そもそも、オーケストラというのは管弦楽団のことを言い、大規模なものを交響楽団 (Symphony Orchestra)と呼ぶらしい。そうか、ということは、私が聴いたのは「オーケストラ」ではなくて「オーケストラが演奏した音楽」だったのか。




 さて、肝心の感想だが、率直に言って、音楽の美しさを鑑賞するというのであれば、室内で、音響設備を整えた上でCDでも聴いたほうがくつろげるのではないかと思う。デジタル媒体では音域が限られているというような話を聞いたことがあるが、私の耳ではそこまではこだわらないなあ。

 では、今の時代、生演奏を聴くことにどういう意義があるのだろうかと思ったが、おそらくそれは、「個と全体」を実感するということなのだろう。オーケストラ全体の演奏というのは、決して個人の行動(演奏)の加算ではないということを、目の前で実感するということである。そう言えば、前日土曜日の昼前、NHK映像ファイル「あの人に会いたい」で今西錦司先生も同じようなことを言っておられた。




 もう1つ、これは子どもの時から疑問に思っていることなのだが、なぜ、クラシックの曲では、「ト短調」とか「ニ短調」というように、曲によって、「長調」やら「短調」に分類したり、それに応じてシャープをつけたりフラットをつけたり、それをまた、「トニイホロヘハ」とか「ヘロホイニトハ」というように、音程をずらして楽譜にする必要があるのだろうか。どんな曲だって、ハ長調の楽譜で表し、半音ずらす必要がある音は、必要に応じてシャープだけつければ(←フラットは要らん)表現できるように思うのだが、そのことを小学校や中学の音楽の先生に質問してもちゃんと答えてもらえなかったように記憶している。高校時代は私は美術を選択したので、音楽の授業は一切受けていない。

5/25追記]

 上記の疑問について、いつもお世話になっている、どどどさんから詳細な解説をいただきました。こちらにあります。どうもありがとうございました。