じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]  高等教育関連のセミナー終了後、18時半開始の行動分析学関連の講演会に参加するため、永田町から千鳥ヶ淵、靖国神社を通って法政大学まで歩いてみた。

 写真は、最高裁前にあった3人の女性の裸像。撮影はしなかったが、千鳥ヶ淵公園には3人の男性の裸像があった。よく似ていたのでネットで調べたところ、女性像のほうは「平和の群像」、男性像のほうは「自由の群像」と言い、原爆の子の像などでも知られる彫刻家・菊地一雄氏の作品であったようだ。

 もっとも、芸術的素養が全く無い私のような者にとっては、どちらも、「おや? なんで このような場所に全裸の女性(or男性)が居るんだろう?」という感想しか持てない。なお、男性像についてはこちらに興味深い考察がある。私も同感だ。


7月7日(金)

【思ったこと】
_60707(金)[教育]高等教育セミナー(2 )リベラルアーツ学群の構造と教育制度

 FD関係のセミナーの1日目の午後の話題は2つの講演があった。

 最初の話題は、「リベラルアーツ学群の構造と教育制度」に関わる某・私立大学の取り組みの紹介であった。

 この大学では10年近く前から、他学部他学科履修(副専攻)、GPAとアドバイザー制度などを重視してきた。それらは一定の成果を上げたが、その後の詳細な調査によれば、副専攻取得者は全卒業者の2割前後にとどまり、しかも、他学科副専攻取得者は6%にすぎず、大部分は自分の所属する学科内の別コースを副専攻として取得していた、というようなことが判明した。

 そんなこともあって、この大学では、学部を廃止し、社会のニーズや受験生に対応して「プロフェッショナルアーツ」や「リベラルアーツ」に分類される学群(カレッジ)を新たに組織した。このうちプロフェッショナルアーツ学群のほうは必修内容がかなり細かく決まっているが、リベラルアーツ学群のほうは、基礎教育を充実させる一方、学生たちは入学後に、主体的に専攻プログラムを選べるようになっている。また、GPA優秀者は上限制の枠がゆるめられ、これにより、副専攻やダブルメジャーを取得することも可能であるという。




 こうした改革は、

●何を学びたいのかが明確でなく、具体的な将来の目標が決まっていない

という入学者の特徴を背景としているようだ。

 じつは、これと全く同じことが、私が担当している文学部の学生についても言える。私のところでも、かつては、受験段階で「心理学・社会心理学専攻」、「考古学専攻」というように、領域別に第一志望から第三志望まで希望を書かせた上で選抜するという方法がとられてきた。しかしこの場合、入試の点数が低くて第二志望以下に回された学生は、どうしても専攻領域にしっくり馴染めないところがあった。そこで現在では、志望する専攻の有無とは無関係に文学部一括で入学者を選抜し、2年次前期にに5つの専修コース(私のところであれば「行動科学」専修コース)に振り分け、さらに2年次後期から、その中の専門領域(私のところであれば「心理学領域」)に分かれて基礎的な実験調査演習科目を履修するというように改革が行われた。これにより、「入学時に何を学びたいのかが明確でない」という学生には、入学後にいろいろな基礎科目を学び、その中で興味を持った学問領域を絞り込むという、主体的な選択の機会が保証されるようになったのである。




 質疑の時間にも指摘されたが、この種のシステムでは、特定のコースに希望者が殺到した場合にどうするのかという問題がある。もっとも、今回話題提供のあった大学の場合は、授業科目の履修だけで卒業要件を満たすことができるため、いくら人数が増えても、授業コマ数を増やせば何とか対応できるかもしれない。いっぽう、私のところでは卒業要件として卒論があり、1人の教員が指導できる卒論生の数には限界がある。それに見合う教員ポストを増やしてもらわなければ、パンク状態になる恐れもある。

 もう1つ考えられる問題点は、もともと学ぶ気が無く、就職までの通過点として大学を考えているような学生がどういう振る舞いを見せるかということだろう。この種の「学群」システムは、おそらく、何割かの学生にとっては、学問領域への関心を高め、主体的な進路選択の機会を増やす上で効果があるに違いないとは思うが、全入時代にあって、必ずしもすべての入学者がそういう姿勢で学ぶかどうかは何とも言えない。このあたりは、開講される授業科目の魅力と、履修指導を担当するアドバイザーの腕次第とも言えよう。

 次回に続く。