じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] アパートの階段で見つけた人面蛾。図鑑とネットで検索したところ、どうやら「モンクロシャチホコ(Phalera flavescens」ではないかと思われる。

なお、過去に掲載した「人面蛾」候補としては



8月21日(月)

【思ったこと】
_60821(月)[心理]「学習療法」認知症に効く?(2)パッケージ効果と「何が効いているのか分からない」という議論

 昨日の日記の続き。

 8月20日の朝日新聞(大阪本社)の

「学習療法」認知症に効く?/毎日、単純計算や音読/介護施設275カ所採用/「脳トレ」川島教授が考案/専門家静観 進まぬ議論/専門誌掲載 急速に拡大

という見出しの記事に関して、
  • (1)セラピー(ここでは「療法」)には、治療手段としてのセラピーと、それ自体が楽しみであるような、つまり、それ自体を目的として実施するセラピーがある。このことを区別して議論しないと混乱する。
  • (2)セラピーは、いろいろな働きかけをパッケージにして実施することが原則。「何が効いているのか分からない」という疑義が出るのは当然であるとしても、結局のところ、実験では、包括的な効果しか検証できない。
  • (3)「実験検討により有意差があった」というだけでは医療効果の検証としては不十分。例えば、ある「薬」に血圧を平均1mHg下げる作用があることが統計的に有意に確認されたからといって、その程度では実用的効果は期待できない。
  • (4)セラピーは治療薬ではない。その効き目の程度は、対象者によって異なる。大勢の人の平均値の変化をもって画一的に考えるのではなく、個々人本位で精密にアセスメントを実施し、最適なメニューを用意することが肝要。
という4点の感想を述べた。本日は(2)と(4)について補足しておきたい((3)については特に付記することはない)。なお、以下に述べることは、今回話題の「学習療法」以外の種々の「セラピー」についても同様に当てはまることである。




 さて(2)に指摘したように、セラピーというのは、いろいろな働きかけをパッケージにして実施することが原則だ。風邪を治すことに例えるならば、単に風邪薬を飲むという効果ではなく、「風邪薬を飲み、消化の良いものを食べ、水分をたっぷりとって、安静を保つ」というように、さまざまな対策・処理を組み合わせて効果を発揮させよう、という方策である。風邪薬の場合は、少なくともヒトに対して共通した薬理作用をもたらすので、他の対策・処理と切り離して独立的に有効性を検証することが可能であろうが、セラピーの場合は、それぞれの対策・処置が相互に連関して複合的に効果をもたらす度合いが大きく「何が効いているのか分からない」を解明するのはきわめて困難であると言わざるを得ない。また、仮に「何が効いているのか」が解明されたとしても、その部分だけを切り出して単独に実施しても効果が保証されるとは限らない。

 けっきょくのところ、セラピーというのは、
  • パッケージ全体として、ある程度の有効性が示されており
  • 個人本位で有効性についての評価体制が確立しており
  • 対象者がそれを実施することを求め
  • 特段の弊害や副作用がなく
  • 対象者や関係者、支援者にとって(時間的、身体的、経済的、etcに)負担にならない
限りにおいては、特にそれをやめさせる理由は無い、と考えてよさそうだ。但し、「ある1つのセラピーが有用である」という主張と、「ある1つのセラピーが最善である」という主張は全く異なる。1つのセラピーの内容自体が改訂されることもあれば、まったく別の新しいセラピーに乗り換えられることもありうる。

 以上述べたことは、例えば、「家庭教師Aさんに教えてもらうことは、うちの子の勉強にとってプラスになるか」という議論と同様である。つまり、実際にその子の成績が向上するのであれば、Aさんを雇用することは有効であると結論して構わない。しかし、その検証だけでは、Bさんに教えてもらったほうがもっと成績が上がるかどうかは分からないし、Aさんが突然の事故で家庭教師を継続できなくなった時には、次にどんな人に頼めばよいのかという手がかりはつかめない。このあたりの考察は、2001年の紀要論文の3.2.1.に考察されているので、ご高覧いただければ幸いだ。




 どのセラピーを採用するかという選択に悩む人にとっては、「何が効いているのか分からない」という検討はあまり役に立たない。上にも述べたように、包括的な効果さえ検証されていればそれでよいのである。「何が効いているのか?」が重要となってくるのは、セラピー実施者内部で、その改訂を試みたり、後継者を養成する際に「コツ」を科学的に解明する必要が出てきた場合である。

 次回に続く。