じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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夕日があたるサクラ。サクラというと、4月上旬の花見のほか秋の紅葉も見応えがあるが、葉がすべて落ちたあとのこういう風景もまた格別である(←こういう風景に興味を持つようになったのは歳を取ったせいだろうか)。
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【思ったこと】 _61220(水)[一般]ワーキングプア再考(5)まとめ ●NHKスペシャル「ワーキングプアII努力すれば抜け出せますか」 という番組の感想の最終回。 さて、まったくの偶然であるが、12月20日の朝日新聞テレビ欄「キュー」に、ライターのS氏が“「ワーキングプアIIにため息”というコラムを書いておられた。 他人事(ひとごと)ではない。この番組を見た誰もがため息をついていた。...という書き出しについては、確かにその通りであると思う。映像ならではの効果は十分にあったと思う。しかし、 再チャレンジ支援なんて小手先の政策はあっても、国が弱者救済など本気では考えていないということか。という結びについては、オイオイちょっと待てよ、そんなに短絡的に考えてよいものか、という気にもなる。 もちろん政府の政策が十分でないことは分かるが、国が悪いというだけで片付けてしまってよいものか。 さて、この番組では、番組の途中と、終わりのところで、3人の専門家からのコメントが挿入されていた。これらを抜き書きすると、以下のようになる。
八代氏の「何よりも景気回復が第一」「最大の原因は長期経済停滞」「経済成長で雇用機会を増やすことが一番大事」といったコメントは、あまりにも楽観的で、番組視聴者から反発をくらうのは必至である。ひょっとして番組制作者はそういう効果を狙ったのだろうか。もっとも、「中小企業といっても企業。企業というのはビジネスをする以上はお客のある所に移らなければならない。そういう努力を支援をするのが国の役割。昔と全く同じやり方でビジネスを続けるのを国がサポートするのは誤ったやり方」はまさにその通り。18日の日記にも書いたように、例えば、電気冷蔵庫が普及していくなかでは、氷屋さんが今まで通りの仕事を続けるのは困難。チープワーカーを使う問題は別として、衣料製品のアイロンがけの仕事など、昔ながらの仕事場で同じように収入が得られることまで国が保障すべきだとは思えない。 このほか、この連載でも何度か指摘したが、ワーキングプアと言われている人たちの中には、もっと、家族間のサポートで生活が改善できるケースもあるように思った。このほか、この日記でも再三してきしていることであるが、福祉というのはお金ではない。努力の量と質に応じて結果を受け取る権利を保障することが最大の福祉である。高齢や障害によって、健常者と同じような労働に従事できなくなった人たちに対しても、適切なサポートのもとで努力の機会を保障し、かつ、ハンディを補うかたちで正当な結果を受け取る権利を守ることが最も大切であると思う。 |