じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
|
時計台前の芝地で大繁殖しているチチコグサ。この影響で、かつてこの場所に群生していたマツバウンラン、ネジバナ、ニワゼキショウ、ヒナギキョウ、タンポポ、ノヂシャなどはすっかり姿を消してしまった。 昔からあったはずのチチコグサがなぜ最近になって増えているのだろうかと思って調べてみたが、どうやら、これまでとは別の外来種のウラジロチチコグサ、タチチチコグサ、ウスベニチチコグサなどが、背が低くて草刈り機で刈り取られないことなどの利点によって急速に勢力を拡大してきたものと思われる。いったん増えると地面全体を覆い尽くしてしまうため、他の雑草が入り込む余地がなくなる。 ネットで検索したところ、チチコグサ各種の見分け方について以下のようなサイトが見つかった。 |
【思ったこと】 _70513(日)[日記]じぶん更新日記十周年(8)なぜWeb日記を書き続けるのか(4)私自身の場合(2) 他のことでも言えるかと思うが、ある行動を長期間続けていると、その行動の目的や意義づけは時間の流れとともに少しずつ変化してくるものである。当初の目的は殆ど意義を失うこともあるし、想定外の意義が新たに付け加わってくることもある。 Web日記の場合も同様であって、10年にも及ぶと、開始当初とは違った意義が見出せるようになる。執筆開始のきっかけや、当初設定していた目標というのは、もはや大した意味をなさないと言ってよいだろう。 となるとけっきょく、【聞き取り調査】というアプローチの範囲では、「現時点で、書き続けていてどういう良いことがあるのか」を列挙すること以外には私の方で用意できる答えは無い、ということになろうかと思う。 書き続けて良かったと思うことの一番目は、新たに知ったこと、その時に思いついたことなどの情報が、いつでもどこでもネット経由で引き出せることだ。私の場合は特に長期記憶があやふやであるため、どこかにメモしておかないとすっかり忘れてしまい、「ええと、何だったっけ、確か前にも聞いたことがあったはずだが...」というように、思い出しのために時間を浪費する羽目になる。 二番目は、自分自身の考えの変遷を把握できるということだ。10年前とは、物事の考え方や感じ方もずいぶん変わってくる。知識の蓄積によって変わることもあるし、老化による諦念という部分もある。 三番目は、毎朝同じ時間帯に日記を書くとことが、規則的な生活習慣づくりに大きく貢献しているという点である。ダラダラとテレビを見ていたり、新聞を読んでいたら、朝の時間はまたたくまに過ぎてしまうに違いない。 さて、以上、もっぱら「書き続けてよかった」点を列挙したが、これだけであるならば、何もネット上で公開する必要はない。ローカルなファイルとして保存しておけばそれで済むはずである。にも関わらず、なにゆえに日記才人に登録したり、毎日、ほぼ定時に更新報告を出すのか? その第一の意義は、やはり、(きわめてmoderateな範囲での)交流ということにあろうかと思う。日記に記した疑問について読者さまから貴重な情報をいただくこともあるし、逆に、私の書いた内容を参考にしていただける場合もある。 第二の意義、そしてこれはかなり重要なことだが、いくら駄文であって、短時間に書き上げる思いつき程度の内容にすぎないと言っても、ネット上に公開するとなれば、それなりに「しっかり書こう」という意識が働くものである。論文を書く時などもそうだが、頭の中では「これはスゴいアイデアだ」と思ったことでも、文章に表してみると、じつはそんなに大したことでなかったり、いろいろボロがあることに気づくということがよくある。ローカルなメモ書き程度のままでは、そういうボロは気づかないままに終わってしまう。実際に読まれることが皆無であったとしても、とにかく、人様に向けて何かを書くとなれば、多少なりとも言葉を選ぶし、証拠を揃えたり、きっちり引用しようという姿勢が出てくる。あっ、これはあくまで「姿勢」であって、実際に書かれた内容がそういう体裁を整えているわけではない、念のため。 以上、執筆継続十周年を機会に、なぜWeb日記を書き続けるのか、について現時点での考えをまとめてみた。なお、「なぜ?」という問いに対しては、自分自身で用意できる回答のほかに、 ●【観察による分析】日常生活行動を細かく観察・記録し、執筆を止めてしまった人の行動と比較対照する。 ●【強化原理に基づく分析】行動分析学の知見を活かし、「何がその行動を強化しているのか?」について、実験を含めた分析を行う。 などがありうることはすでに指摘した通りであるが、現時点では、そのことまで分析する余裕は無い。 ちなみにGoogleで「じぶん更新日記」というキーワードを検索すると、5月14日現在で約 19,300 件がヒットした。その中には、
|