じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 5月14日付けの楽天版じぶん更新日記に、薬用植物園のアヤメの写真を掲載した。ここは、園内は立入禁止だが、道路から柵越しに鑑賞することができる。

 写真は、夕食後の散歩時に撮影した「夜アヤメ」。夜に鑑賞する花としては「夜桜」があるが、アヤメの花もなかなか趣がある。


5月14日(月)

【思ったこと】
_70514(月)[心理]他者の体験の情報的価値(1)

 昨日まで、「なぜWeb日記を書き続けるのか」という連載を続けてきたが、その中で

【強化の原理に基づく分析】Web日記を長期間執筆するという行動は何によって強化されているのか?

よりも、

【メリットの列挙】Web日記を長期間書き続けていて、どんな良いことがあったか?

のほうが、第三者に対して有用な情報になりうるのではないかと述べた。

 どちらが有用な情報になるか、という議論は、誰が何のためにその情報を利用するのかによって変わってくる。【強化の原理に基づく分析】は例えば、
  • その行動をしている本人が、自分自身の行動を改善したいと望む場合(あまりにも熱中しすぎていて弊害になっている場合、あるいは逆に、習慣として身につけたいがうまくいかない場合)
  • 多くの人が同じような行動をしており、社会現象化している時の説明として
  • 行動の原理がどのように働いているのかを理解するための一事例として
といったケースでは【メリットの列挙】より遙かに有用な情報になりうると思う。しかしそれらはいずれも、本人あるいは研究者にとっての関心事に過ぎず、第三者にとっては、「勝手にすればいいじゃない」、「私には関係ないわ」といったどうでもよいことの1つに過ぎない。第三者が関心をもつのは、「どんな良いことがあったのか」という【メリットの列挙】を得た上で、それら情報の自分自身への適用可能性を検討することである。もちろん、全く別の世界の人の体験であっても、人生を豊かにする上で有用ということはありうるが(ノーベル賞級の大発見をした人の自伝とか、奇跡的に生還した人の体験談とか)、そのことは別の機会にまわすとして、ここでは、もっと直接的な情報利用の可能性について考えてみたいと思う。




 他者の体験がそっくり自分自身に適用できるかどうかは、一般には
  1. 「やってみて良かったこと」にどれだけの普遍性があるか。
  2. 話題提供者と自分自身の間にどれだけの共通性があるのか。
にかかっている。

 このうち、1.は、その体験が偶然的であるのか、それとも、条件さえ揃えば必ず実現できるものなのかに依存している。

 例えば、「旅行先でこのレストランに入ったら、こんなに美味しいメニューがあった」というような情報は、そのお店の営業時間、提供メニューの内容が確認できていれば、自分自身でも確実に体験することができる。但し、それが「美味しかった」と言える体験になるかどうかは、情報提供者と情報利用者の好みの共通性に依存している。

 「この切符を買ったらこれだけ安くなった」というような情報は、いま述べた「美味しい料理」の例よりは普遍性が高い。「同じ切符を買うなら、安く買ったほうが良い」ということにかなりの普遍性があるからである。




 いっぽう、上記の適用条件を取り違え、他者の体験を過度に般化してしまう誤りも起こりうる。しばしば社会問題となっている「健康」食品の誇大な宣伝がこれにあたる。ある食品を摂取して病気が治ったなどという体験談がチラシ広告にしばしば載せられているが、かりにそれが(捏造ではなくて)ホンモノの体験談であったとしても、
  1. 「摂取して治った」にどれだけの普遍性があるか。
  2. 話題提供者と自分自身の間にどれだけの共通性があるのか。
ということをきっちり見極めなければならないはずだ。このうち1.では、偶然ではないことことのエビデンス(その食品を摂取しても治らなかった人や、摂取せずに治った人のデータを含めて)が求められる。また2.に関しては、本来ならば、「体験談提供者と自分自身において、同じように、生理的に有効に作用する」というエビデンスが求められるのだが、「体験談提供者と自分自身が同じ病気であった」というだけで共通性があると錯覚してしまうから騙されるもとになるのである。

 次回に続く。