じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
|
サツマイモ畑と日の出。この季節、早朝の散歩時にはすでに日の出をすぎているが、天候の違いにより、まんまるの太陽が上がる時もあれば、まぶしすぎる時もある。5月23日は薄雲が出ていて、ちょうどいい具合に光が差し込んでいた。 |
【思ったこと】 _70523(水)[教育]英語授業は、コマ数の議論よりも卒業試験問題作りを優先すべきだと思う 私が教養部の学生だった頃の英語は、英文学の先生ご担当による講読主体の授業が中心であった。最近では、これに代わって、ネイティブ教員や、(英文学ではなく)英語教育の専門家による「使える英語」力を向上させるための教育が重視されている。また、その成果を客観的に測る指標として、TOEICなどの外部試験が新入生全員に実施され、何点以上ならば単位認定、何点未満ならば高校補習的な基礎英語クラス、というような習熟度別教育も導入されている模様である。 こうした傾向は全体として望ましい方向であると思っているが、
●この大学を卒業した学生は、最低限、これだけの英語力を身につけている といった質の設定と質保証の議論までは至っていないところがあるように見受けられる。 というような中で最近思うのだが、いっそのこと入試の英語・個別学力試験のような形で、それぞれの大学において、英語の卒業試験を実施し、その素点や偏差値を成績証明書に記入するというようにしてはどうだろうか。 この場合、
大学というところは、いまでもなお単位制が基本になっており、「○○大学で英語関連科目××単位を履修し、どういう成績であった」というだけが唯一の公的な「英語力の質保証」になってきたわけだが、それだけでは、その卒業生がどれだけの英語力を身につけているのかという内容はさっぱり分からない。だからこそ、TOEICのような、「評価基準を一定に保ち」、「グローバルスタンダード」であるようなスコアが重視されるようになってきたわけだが、もう少し、それぞれの大学の個性を反映した英語教育というのがあってもいいのではないかなあ。 ま、本来の教育の成果は、日々の授業の積み重ねのプロセスであり、試験問題の点数だけで測れるとは到底思えないけれども、質保証のエビデンスとして問題内容や点数を公表することにはそれなりの意義があると思う。また、問題のレベルや内容にこそ、その大学の英語教育の個性を外部に示せるのではないだろうか。 |