じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 6月12日早朝の田んぼ。田植えが進んでいる。6月10日の楽天版の写真参照。



6月12日(火)

【思ったこと】
_70612(火)[心理]人間・植物関係学会2007年大会(4)自然のもたらす心の癒し〜病跡学的視点から〜(2)

 大森健一氏(獨協医科大学名誉教授・滝澤病院) による、

●自然のもたらす心の癒し〜病跡学的視点から〜 俳人種田山頭火の場合

という基調講演のメモ・感想の2回目。

 講演では、病跡学の概要に引き続いて、種田山頭火(1882〜1940)の略歴が紹介された。その内容はウィキペディアの当該項目にほぼ等しい。若干補足すると、11歳の時の母親の自殺は、井戸への投身であると言われているが、最近では、首つりであったという説もあるという。いずれにせよ、山頭火はそのすぐ近くで遊んでいて、母親の遺体が運び出されるところを目撃したという。そのショックがのちの人生に大きな影響を与えることになった。また、ウィキペディアの「生活苦から自殺未遂をおこしたところを市内の報恩禅寺(千体佛)住職・望月義庵に助けられ寺男となる。」という部分については、今回の講演では、「酒に酔い進行中の電車の前に仁王立ちする。」となっていて、「生活苦による自殺未遂」かどうかについては言及されなかった。

 山頭火の作品の一部は青空文庫で閲覧することができる。

 山頭火は、早稲田大学に入学するも、「神経衰弱」のため2年後に退学。41歳の時にも、「神経衰弱症」のため一橋図書館を退職している。その間、結婚、長男誕生、種田家破産、弟の自殺、離婚など数々の波乱があった。妻とは離婚しているが、関東大震災後には妻の実家に身を寄せており、自身の故郷である山口県防府市と、妻の住んでいた熊本市横手町の安国禅寺の2箇所に墓があるそうだ。

 病跡学的にみると山頭火は、心身疲労感や不眠、そのことを紛らわすためのアルコール依存の症状があり「内因反応性気分失調症 endo-reactive dysthmie←内因性うつ病や喪失うつ病とは異なる)」及び「アルコール嗜癖」という診断になるというが、引きこもりにならず放浪の旅に出るなど典型的症状とは異なる特徴もあるらしい(←長谷川のメモのため不確か)。彼の人生と創作活動のカギは、一体化の希求にあるという。一体化には人との一体化、自然との一体化がある。人との一体化は依存・甘えをもたらし、またそれが叶わないと、失望、喪失感、自己嫌悪、罪悪感、抑うつ状態mさらには自殺念慮をもたらす。一体化できない苦しみについて山頭火は、『砕けた瓦』(大正3年)の中で、「家庭は牢獄だとは思わないが、家庭は砂漠であると思わざるを得ない。...」と述べているという。

 そうした苦しみを背負った山頭火は、俳句や日誌という創造の世界、句友や妻子、行乞放浪と定住、自然との一体化、酒などに救いを求めた。特に自然との一体化と癒しは、種々の作品の中に表れているという。




 今回の講演のキーワードの1つである「一体化の希求」は「個別化願望」を対極とする専門用語のようであったが、私は精神科領域のことは全く素人であるため、それが、どのような理論をなしているのか、それによって何が説明できるのか、治療にどう貢献するのかについてはよく分からなかった。

 素朴に考えた場合、一口に「一体化」と言っても、「人との一体化」と「自然との一体化」では全く別物であるように思われる。「人との一体化希求」は通常、他者への依存、あるいは共依存に陥る一方、孤独や孤立を恐れる傾向をもたらす。いっぽう、「自然との一体化」のほうは、傍目には孤独を好むようにも見える。但し、自然と能動的・積極的に関わろうとする一体化(例えば、日々、農作業、園芸作業、自然探索、登山、その他、各種ネイチャリングなど...)もあれば、静かに自然に向き合って悟りの境地を開くという一体化もある。おそらく、一体化か個別化という一次元ではなく、「一体化か個別化か」と「能動的か受容的か」という2次元直交軸の中で捉えていくべきものであるように思う。


次回に続く。