じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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夕食後の散歩時に見かけた蜘蛛の巣。階段の照明に多数の虫が集まってくるため、蜘蛛のほうも餌が捕れすぎて困っているところだろう。
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【思ったこと】 _70704(水)[心理]6月6日放送・ためしてガッテンの「心理実験」(3)「認知的一貫性」ではなく、こまめな行動形成こそ大切 6月29日に続き、6月6日放送のNHKためしてガッテン「常識逆転! 地球温暖化ビックリ対策術について考えてみることにしたい。 番組では、家庭から排出される二酸化炭素を風船の大きさに例えてみたり、その内訳が
しかし、 「地球温暖化を防ぐために何かしたい」という意識がある人は、実際に行動してみることで心の矛盾が解消され、自然に対策ができるようになる可能性があるのです。というくだりについては、どうにも納得ができない。前回も述べたように、今回紹介された「心理実験」はそのことを実証するものでは全くないし、そもそも、「何かをしたい→行動してみることで心の矛盾解消→自然に対策ができるようになる」という提言自体が有効であるとは思えない。 まず問題となるのが、“「地球温暖化を防ぐために何かしたい」という意識がある”という部分だが、何が温暖化防止に有効かということは専門家のあいだでもしばしば議論になるところである。ある行動をとることが温暖化防止に有効かとうかは、科学技術の水準にも依存するし、行政側の対応や国際的な取り決めによっても大きく変わってくるものである。 まず、よく指摘されることだが、リサイクルが常に温暖化防止に役立つとは必ずしも言えない。リサイクルの処理過程で多量のエネルギーを必要とするとなると、結果的にリサイクルすればするほど二酸化炭素を排出するということにもなりかねない。 番組ではゴミ分別行動が取り上げられていたが、分別するとなぜ温暖化防止になるのかがイマイチ分からなかった。上にも述べたが、「資源の再利用」イコール「温暖化防止」ということにはならない。むしろ、ゴミを減らすことに重点を置くべきであろう。また、それぞれの町内に市営の貸し農園や貸し花壇を設置し、生ゴミは専用の堆肥製造装置に入れるようにすれば、結果的にゴミ焼却場から排出される二酸化炭素や排熱が減るというメリットもある。 余談だが、「地球温暖化を防ぐために何かしたい」という「意識」だけを高めていくと、最終的には、地球上で自分が呼吸をしていること自体が悪であると思い込みかねない。では首をつって死ねばよいかと言えば、その場合でも、火葬の際に大量の二酸化炭素を発生してしまう。たぶん、誰にも発見されないような山奥で穴を掘って自ら生き埋めになり森林の肥料になるということが、究極の「認知的一貫性」ということになるのだろう。 しかし現実には我々は、肺から二酸化炭素を排出しながら生きていかなければならない。もっと具体的な温暖化防止策というのは、個々の対策行動を地道に形成していくことになるのではないかと思う。それは決して、「自然に対策ができるようになる可能性がある」などという甘っちょろいものではない。
番組の最後のほうで「赤星たみこさんのエコ生活」というのが紹介されていたが、「朝起きてゴミを出すのが面倒」という発想も、じつは、温暖化防止の重要なカギであったりする。わざわざ面倒な行動を形成するというのはそう簡単にできるものではないが、面倒(手間、負担、労力、...)を回避するという行動は、それ自体魅力的であり、自己強化的であるとも言える。但し、それを可能にするには、お店の側の対応も必要かと思うが(←できるだけパッケージに入れないで売るなど)。 もう1つ、番組の最後で立川志の輔さんが、ゴミ分別の習慣化に関連して、「シートベルト」着用の話題を取り上げておられた。 初めのうちは嫌々、(警察に)捕まるとイヤだからと思ってでやっていたのが、今、これをしないと気持ち悪くて運転ができないし、助手席に居ても、後ろの席に居てもするようになっちゃった。 オレって変わったんだなあ。この事例も、今回の「心理実験」とは余り関係無さそうに思えるが、要するに、日常生活行動のかなりの部分は1つの「型」として形成されており、個々の要素的な行動の強化は必ずしも必要無いということは言えるかと思う。迷惑駐輪や吸い殻ポイ捨てなどの問題もそうだと思うが、モラル向上により防止するというよりも、「正規の駐輪場に駐める」、「所定の喫煙所以外ではタバコを吸わない」といった「型」を安定形成することのほうが有効である場合は多い。 |