じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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9月23日の岡山は、朝の気温は25.0度までしか下がらず熱帯夜となり、日中は30.7度まで上がった。しかし午後になって11.5ミリの雨が降り、その直後には24.9度まで下がり、一気に秋の訪れを感じさせた。写真は24日早朝の田んぼ。すでに稲穂が垂れている。
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【思ったこと】 _70923(日)[心理]日本心理学会第71回大会(6)キャンパスの中の「カルト」(4)カルトの何がイケナイのか 連載の4回目。今回は、キャンパスの中の「カルト」対策について、私なりの考えを述べることにしたい。 さて、この種の話題は ●「カルト」はイケナイ存在であり、新入生がその影響を受けないよう、万全の策を講じなければならない。 という前提に立って検討されることが多い。しかし、そもそも、「カルト」はなぜイケナイのだろうか。 この問いに対して、かなりの人は、「地下鉄サリン事件、霊感商法、合同結婚式、輸血拒否などの反社会的行為を引き起こしているから」と答えるに違いない。しかし、世間の拒絶と監視の目が行き届いてきたせいだろうか。反社会的行為に走るというような集団は、以前よりは減ってきたようにも思われる。むしろ、最近の集団は、偽装サークルの活動に重きを置いているとも言われており、改めて、何がイケナイのか、それとも、度を超さなければ構わないのか、ということを改めて確認する時代に来ているようにも見える。 ちなみに、今回のシンポでは、「破壊的なカルト(Destructive Cult)」は、西田(1995)を引用し、 強固な信念を共有して熱狂的に実践し、表面的には合法的で社会正義をふりかざすが、実質には自らの利益追求のために手段を選ばない集団。というように定義されていた。しかし、こうした実態は、その集団が何か事件を引き起こし、脱会者の証言などを通じて後になってから解明される場合が多い。また、単に「自らの利益追求のために手段を選ばない」などというと、最近ではむしろ、村上ファンド事件や、企業の敵対的買収のことを思い浮かべてしまう。 では、ズバリ、「カルト」の何がイケナイのか? これは、信者自身の問題と、周囲への影響の問題に分けて考えたほうがよさそうだ。 まず、信者個人の問題としては、日々の生活の大半が勧誘・布教、資金調達活動(インチキ募金など)等に追われ、学生本来の勉学がおろそかになり、遅刻、欠席、未履修、留年、...という泥沼に陥るということがあげられる。また、マインド・コントロールが進むことによって、規範意識がおかしくなり、指導教員からの通常の指導や説諭、家族や友人からの説得を受け入れないという問題が出てくる。 次に、周囲への影響の問題だが、「カルト」は通常、新たな信者獲得のための巧妙かつ執拗な勧誘行動を展開する。というか、勧誘で信者を拡大しなければ組織として存在しえない宿命を背負っているとも言えよう。本当に「真理」なるものを見出し日々充実した人生を与えてくれるような宗教団体であったら、わざわざ宣伝しなくても自然に人が集まってくるはずである。しかし実際には教義やスタイルは似たり寄ったり。巧みな勧誘活動に成功した勝ち組だけが、組織として生き残っているのである。 自分自身だけが崩壊するならまだしも、大して「修行」を積んでいないうちから、というか、「修行」の手段として勧誘活動に奔走する。その結果、友人、知人、同じ大学の新入生たちが多大な迷惑を被ることになる。例えは悪いかもしれないが、これは、生物の世界で言えば侵略的な外来生物のようなものと言えるだろう。キャンパス内の価値観の多様性を破壊し、学生の主体的な選択の機会を奪うという点で、どうしても規制が必要になってくる。 ではどうすればよいか。まず、信者個人レベルの問題に関しては、学生個人個人へのきめ細かい支援によって、早期発見・対処が可能になると思う。例えば、私が担当している文学部の場合は、それぞれの学年の2〜3名の学生に対して指導教員が指定されている。そして、半期ごとに、履修状況が芳しくない学生に対しては面談を行い、必要に応じて保護者とも連絡を取り合い、適切な支援を行うこととなっている。この支援は、学部の学生生活委員会が全面的にバックアップしている。 近頃では、厳格な成績評価、出席状況のチェックなどもきめ細かく行われているので、勧誘・布教・資金調達活動などに奔走している信者は、成績不振者として、かなりの高確率でリストに上がってくるはずである。 次に、周囲への影響であるが、大学は基本的に勉学の場であるからして、まず、学外者の宣伝・勧誘行為は全面的に禁止すべきであると考える。これは、営利目的や政治団体についても同様。 学内の学生間、クラスメートや先輩・後輩間の勧誘行為であるが、そもそも、自分自身の信仰が未熟な信者が、どうして他者を勧誘できるのか、他者の将来をめちゃくちゃにしてしまった時にどう責任をとれるのか、よく考えてもらいたいところだ。また、少なくとも、本人が望まない執拗な勧誘行為があった場合は、ストーカーとして訴えるべきであり、そのための相談窓口を設けるとよいかと思う。 一般学生に対しては、阪大で行われているような特別講義(9月20日の日記参照)、あるいはそれに類する特別講演会などを通じて、「カルト」の勧誘の手口やマインドコントロールの恐ろしさについて、きめ細かい情報提供をする必要がある。 もちろん、もっと基本となるのは、教養教育や学士教育を充実させ、多面的な物の見方、主体的な判断力を醸成することにある。勉学生活の基本が充実し、人間関係がうまくいっている限りは、勧誘に動じる恐れは少ない。 また、「カルト」の影響を受けやすいのは、真面目で無口で、普段一人で過ごすようなタイプの学生に多いと言われる。講義や講演を通じた啓蒙活動は95%の学生には有効かもしれないが、残り5%の少数派の学生に対しては、それぞれの個性に合わせた、きめ細かい指導を特別に行っていく必要があるように思う。 次回に続く。 |