じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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自宅の庭で落とし穴を掘っているところ。このころから穴掘りに興味を持ち始め、中学生の頃には、深さ5m40cmの縦穴を掘って井戸水が出ることを確認したり、そこから横穴を掘って地下室を造ろうとして怒られたことがあった。ちなみに、このあたりの土地は、深さ70cmほど穴を掘ると赤土の層(関東ローム層)になる。 |
【思ったこと】 _71014(日)[心理]日本心理学会第71回大会(23)エビデンスにもとづく臨床(1) 日本心理学会第71回大会3日目(9/20)は、 S11 認知行動療法と実証(エビデンス)にもとづく臨床:クライエントにとって真に有効な実践は何か? 20日 10:00-12:00に参加した(敬称略、#印は非会員)。 「エビデンスにもとづく」というのは、最近よく耳にする言葉であり、この半年余りのあいだに私自身このシンポ以外に2回、類似のシンポに参加している。
このように「エビデンス」論議が高まってきた背景には、 ●エビデンスのある所にお金を出すことで、限られた資源を有効に活用する という考え方があるようだ。これは、 ●同じコストであるならば、効果検証実験において、効果量の平均値が高く、かつバラツキの小さい介入を採用したほうが効率的 という考え方にも繋がる。確かに、保健医療、公的な支援を考える上ではこうした視点は重要であるし、また、ユーザー(クライエント)自身が種々の療法のうちからどれを選ぶかという選択の手がかり、第三者にその療法を受け入れさせるための説得手段として有効であると言うことはできる。但し、それらをもって、どの個人にも同一の療法を画一的に当てはめてよいということにはならない。このあたりについての私の考えは、本年12月刊行予定の紀要論文: 心理学研究における実験的方法の意義と限界(4)単一事例実験法をいかに活用するか に記したところでもあり、刊行後はぜひご高覧いただきたいと思う。 さて、シンポではまず、1番目の話題提供者の市井氏から、「日本心理学会のシンポ参加者にとっては、エビデンスに基づくことは自明であろう」というようなご発言があった。確かに、日本心理学会は、「実証的」な方法を重視する研究者が多く参加する学会であるため、エビデンスに基づいて議論することは常識となっているようにも見える。しかし、逆に言えば、実験や調査で統計的有意差が出ることがエビデンスの獲得であるような見方も無いとは言えない。少数の実験結果を揃えるだけで何かが「実証された」と説く人もいる。 実験や調査は大切な方法ではあるけれども、その結果だけで「何かが実証された」と解釈できるわけではない。ある法則が成り立たないという反例を挙げるだけなら1つの実験結果でも十分な場合があるが、ある法則が成り立つということを実験的に証明することはきわめて難しい。経験科学というのはもともとそういうものである。力学の世界なら、たった1つの石ころを落とすだけでも、かなりの法則を見つけ出すことができるが、心理学の世界ではそういうわけにはいかない。多数の要因が同時に関与したり相互作用を起こしているためにばらつくこともあるし、「要因」そのものが安定していない場合もあるし、平均値に差があったからといってすべての個人に当てはまるというわけでもない。さらには、もう少し大きな枠組みで、同一性や関係性を議論していく必要もある。 ま、そんなわけだから、「エビデンス重視」についての議論は、本当は、それを自明としている基礎系の心理学会できっちりと行われるべきであるというのが私の考えである。しかし、それはそれとして、「競争的環境」のもとで、予算獲得の方便として「エビデンス」が使われることが多いという現実もある。どの分野であれ、誰のためのエビデンスなのか、ということはきっちりおさえておく必要があるだろう。そういう意味ではこのシンポの副題「クライエントにとって真に有効な実践は何か?」はまことに意義深い。 次回に続く。 |