じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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幼稚園から集団で帰宅するところ(1958年4月または5月頃)。制服そのものは50年後の今でも大して変わらないが、後ろの板塀、ゴミ箱、未舗装の道路などは昭和30年代の象徴とも言える。 |
【ちょっと思ったこと】
オリオン座流星群、3日目 10月23日の早朝5時10分〜30分頃のあいだに、オリオン座の付近で3個の流れ星を目撃。極大日は21日の22時のはずだったが22日早朝は全く見えなかった。もしかするとオリオン座流星群ではなく、おうし座流星群の流れ星だったかもしれない。 |
【思ったこと】 _71022(月)[心理]日本心理学会第71回大会(31)エビデンスにもとづく臨床(9) 井上氏の話題提供: ●発達障害領域におけるエビデンスに基づいた臨床と我が国における課題 の感想の続き。話題提供の中ほどで井上氏は、我が国の行動分析家の課題について、中野(2004)に言及された。 中野良顕 (2004). 行動倫理学の確立に向けて〜EST時代の行動分析の倫理〜. 行動分析学研究, 19,. 18-51. そこでは、
日本行動分析学会の前会長である中野氏が自ら執筆された中野(2004)という論文は、行動分析学会会員の間では広く知られていると思うが、残念ながら、学会の外の世界ではそれほど浸透しておらず、また、まことに残念ながら、御提言がなかなか実現していないようにも思われる。 ところで、上記の一連のお話の中で、井上氏は ●単一事例は探索的手法により介入変数を発見するのに向いているが、証明された変数に対しては次の段階を考える必要がある と述べておられたが、これはあくまで、法則や手法の一般化をめざすステップのことであると理解した。前にも述べたように、ある方法が個人に有効かどうかを問題にする場合には、むしろ単一事例法こそが唯一かつ最後の段階になる。 例えば、ある薬草の成分がある病気に効くかどうかを調べる場合、薬効を検証するプロセスでは、 事例研究→単一事例実験→RCT というステップになる。しかし、その成分を含む薬が正式に発売された後、特定の個人がそれを服用するかどうかを判断する場合には、またまた、その個人に対する単一事例法が意味を持ってくるのである。いくら特効薬であると言われても、その個人の体質によっては副作用が出る場合もあるし、うまく吸収されないことだってあるからだ。このあたりのことは、質疑の時にも確認させていただいた。「エビデンス脱藩同盟」の趣旨もおそらくこの点にあるのではないかと思う。 次回に続く。 |