じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山大学構内の紅葉情報の第九弾(2007年11月13日〜14日)。写真上から、
  • 時計台前のアメリカフウと楷の木の紅葉(14日朝撮影)
  • 南北通りのギンナン(13日朝撮影)
  • 一般教育棟(旧・教養部)構内のソメイヨシノ(14日夕撮影)
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11月14日(水)

【ちょっと思ったこと】

ホームズ彗星、22、23回目

 11月14日(水)夕食後と15日(木)の5時半頃に、ホームズ彗星を眺めることができた。これで通算21、22回目となった。肉眼ではギリギリの明るさで、以前のような面積体ではなく、何かがありそうだという程度の見え方であった。

 双眼鏡では、尾が出ているように見える。アストロアーツの投稿画像と一致しており、錯覚ではなさそう。

【思ったこと】
_71114(水)[心理]日本心理学会第71回大会(51) 日本人は集団主義的か?(16)中間総括

 第8回目からの連載で取り上げてきた種々の質問紙研究や行動研究の結果をふまえて、高野氏は、「心理学的な研究は、「日本人=集団主義」説は誤り」であると結論された。

 このことについての私自身の考えは10月28日の日記に述べた通りであり、
そもそも「集団主義」なるものは、厳密に定義された学術的概念ではない。社会心理学の実験をやってみれば、確かに、米国人が被験者の場合の結果と日本人が被験者の場合の結果で質的な差違が出る場合もあるし、全く出ない場合もある・しかし、その実験結果だけをもって「実証」とか「反証」ということにはならない。けっきょく、俗に言われている「集団主義」的な傾向が顕著に表れるケースもあれば、そうでないケース、また時には米国人のほうが集団主義的と見えるようなケースもありうる。
という点に要約できる。

 このほか、一連の研究紹介でちょっと気になったのは、「日本人=集団主義」を支持する研究、支持しない研究、どちらとも言えない研究の件数を円グラフで示し、「圧倒的多数の研究は通説を支持しなかった」という「多数決の論理」で聴衆を説得しようとしているのでは?という疑問が少々残った。もちろん、通説を支持する研究があった場合にはその内容を精査し、交絡など別の可能性によるものであることは細かく御指摘なさっているので、結論自体には問題が無いと思うのだが、とにかく、支持・不支持の研究件数による「多数決」の論理というのはあまり意味をなさないと思う。

 例えば10件の論文のうち1件のみがA説を支持し、残り9件がそれを支持しなかったとしても、A説が誤りであるとは直ちには言えない。心理学の世界では大学生を対象とした調査や実験の件数が非常に多いのだが、仮に、A説を支持しなかった9件の件数がすべて大学生対象、支持した研究1件が社会人を対象としていたのであれば、大学生特有の効果が「圧倒的多数」をもたらしていたという可能性も否定できない。また、そもそも研究の件数などというのは、ランダムに抽出されたサンプルではない。ある種の検索でヒットした件数に限られるかもしれないし、特定の研究者の業績のみに限られるかもしれない。聴衆を納得させる効果はあるかもしれないが、厳密な意味でのメタ研究にはなっていないように思われる。

 ま、このあたりのことを含めて、実験室実験の弊害や、調査対象者が大学生に偏っていることについての弊害は、高野氏ご自身による共著書

心理学研究法 心を見つめる科学のまなざし有斐閣アルマ ISBN 9784641122147

にも、しっかりと書かれているので、当然、そのことをご考慮の上で論を展開されているとは思うのだが...。




 ということで、「日本人は集団主義的か?」とうのは話題性はあるが、学術的にはあまり建設的な議論にはならないように思う、

 とはいえ、本来何の根拠も無い通説がまかり通り、そのことによって社会的にいろいろな弊害が出ているのであれば、心理学者としてもきっちり対処していく必要がある。これは「血液型性格判断」俗説に対処する場合と同様である。

 次回以降では、このことに関する「経済学から考える」話題提供に話を進めていきたいと思う。