じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
1月15日の岡山の最低気温はマイナス0.4度となり、今年に入って3度目の氷点下となった。その寒さのせいではないと思うが、白いサザンカの花びらが絨毯を作っていた。 |
【思ったこと】 _80115(火)[一般]大忠臣蔵 先週、自宅に戻って昼食をとる時にたまたまテレビのスイッチを入れたら、大忠臣蔵という、懐かしいドラマが流れてきた。ちょうど、天野屋利兵衛が頭を丸めて隠居の身となり、大石内蔵助たちの要請に応じるシーンであった。 ウィキペディアの当該項目によれば、このドラマはNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列で 1971年(昭和46年)1月5日から12月28日まで放送された全52回の大作であった。1971年と言えば今から37年前、私が大学に入学した年である。但し、私自身は、初回放送時には全く観ていない。たぶんその5年後くらいに再放送された時が初めてだったと思う。それと、買ったばかりのVHSビデオデッキ(確か、質屋で59800円で購入)で最初に録画した番組がこのドラマであった。 あれから30年以上を経て、再び同じドラマの再放送にお目にかかれるとは思ってもみなかった。ドラマ自体に、時代を超えた、名作品としての価値があることの証明であると言ってもよいかと思う。 ウィキペディアの関連項目にも記されているように、このドラマには史実と違うフィクションが多数含まれている。というか、忠臣蔵のストーリー自体が、1703年1月30日に発生した元禄赤穂事件とはかなり異なっており、例えば、討ち入りの夜はほぼ快晴であったとか、太鼓は持っていなかった、などのツッコミがある。また、そもそも浅野内匠頭が何を理由に吉良上野介に斬りつけたのかについても諸説あり、定かではない。 しかし、私自身は、史実がどうであったかということには、あまり興味がない。形式上は、徒党を組み不意打ちした集団テロと大差ないかもしれないが、とにかく、義士たちが力を合わせて1つの目的を成し遂げたというプロセスを美化し賞賛することには素直に感動できる。だからこそ、何度も何度も古典芸能やテレビや映画で演じられてきたのであろう。 もとの話題の大忠臣蔵であるが、ウィキペディアでは、 などの肯定的評価【一部省略】が記されている。 私個人は芸能界には疎く、俳優の御名前は殆ど知らないが、それでも、キャストの一覧にあるお名前は、かなりの程度で存じ上げている。ま、そうは言っても37年前のドラマである。大石内蔵助役の三船敏郎氏を初め、かなりの方がすでにお亡くなりになっている。305年前の赤穂義士たちは忠義と切腹をもって後世に名を残したが、37年前のドラマに出演した俳優の方たちも、ドラマの映像を通じて後世まで名を残すことであろう。 |