じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 チベットの「低炭素」生活。今回のチベット旅行では、各所で、太陽熱を利用した湯沸かし器を目にした。写真はデポン寺境内で修行をしている尼さん。実際にヤカンに触らせてもらったが、十分にお茶を飲める温度のお湯に沸いていた。

 チベットでは衛星放送受信のためのパラボラアンテナをつけている家も多い。当初、軒先にまでアンテナをつけているのかと思っていたが、よく見るとこの湯沸かし器であったりする。


1月19日(土)

【思ったこと】
_80119(土)[教育]平成20年度センター試験(1)今年もまたリスニングテスト論議

 大学入試センター試験が19日から始まり、外国語の受験者数は、去年より6900人余り少ない49万8000人前後であったという。センター試験に関連してこのWeb日記で定番となっているのが、リスニングテストに関する話題である。一昨年と昨年にここに書いたことを転載すると以下のようになる。これらの主張は一貫しており
  1. リスニングテストのトラブルを限りなくゼロに近づけるための努力については、技術水準の高さを統制のとれた組織力両面において大いに評価すべきであり、失敗ばかりをあげつらって自虐的に報道すべきではない
  2. そもそもリスニングテストが必要かどうかという議論に関しては、不要論を唱えてきた。
の2点に要約できる。

--------------------以下、要約・転載--------------------
  • 2006年1月21日
    • 50万人の受験者に対してトラブル400件あまりというのは、確率1000分の1以下。しかも、トラブルがあった場合は再テストでちゃんと対応しており、受験機会に著しい不公平を生じたというほどではない。そりゃ生命に直接危険を及ぼすような医療機器だったら確率1000分の1では不十分きわまりないが、センター試験受験料の範囲内でのコストを考えると、私はむしろ「日本の技術力の高さと、統制のとれた組織力を示した」事例として、もっと誇ってもよいのではないかと思う。
    • 受験生の一部には「隣の人の音漏れが気になり、集中しにくかった」、「他の人のイヤホンの音漏れや筆記する鉛筆の音が耳障りだった」といった不満が出たというが、そもそも、日常生活場面でのコミュニケーションなどというのは生活雑音があって当然。完全防音でなければ正解が出せないというのは、まだまだ努力が足りないように思う。
    • 以上述べたことは、あくまでリスニングテストが行われるべきだという前提の上での話。私は個人的には、あのようなテストを受験科目に課すことは賛成できない。
       米国で研究したり、ビジネスの最前線に立つような人を除けば、大半の日本人にとってはリスニング力向上はそんなに必要なこととは思えない。アジア、アフリカ、ヨーロッパで聞く国際英語などというのは、ネイティブ英語とは著しく異なる。ネイティブ英語の聞き取りを正確にしたところで、コミュニケーション力がアップするなどと考えたら大間違いである。そんなことより、日本人はもっと誇りをもってネイティブ英語話者と接するべきだ。相手が速く喋りすぎた時や、慣用表現を多用した時には「お前の英語は国際英語ではない。慣用句など使わず、もっとゆっくりと、簡潔な表現を使え!」と要求すべきである。
    • 仮にリスニング力が必要であったとしても、それを合格者振り分けの基準の1つとして用いる必要があるのかも疑問。社会に出てから(ネイティブ英語話者をお手本とする)リスニング力が必要だと思う人は、何も受験科目に含めなくてもちゃんと勉強し、TOEICなどの各種外部試験のスコアでちゃんと実力の程度を証明することができるはずだ。あのように機器や監督要員にコストをかけて、センター試験の一環として実施する必要がどこまであるのか、再考する必要があると思う。
  • 2007年1月20日
    • 20日のネット記事等では 「センターは、昨年の混乱を受けて機器や試験方法を改良したが、再びトラブルが起きたことで、試験のあり方が改めて問われそうだ。」と主張されていたが、新聞やテレビは、なぜこういうマイナス面ばかりを強調したがるのだろうか。もちろん、トラブルがゼロであることにこしたことは無いが、機密保持上の制限(→トラブルゼロよりも、機器チェックの段階で問題内容が漏れることのほうが重大問題)、コスト(→受験料が高額になっては困る)、その他諸々のリスクを勘案したときには、ある程度のトラブルが発生するのは覚悟しなければならない。大切なことはむしろ、トラブルの被害を受けた受験生に、他の受験生と公平な機会を提供する手だてを考えることである。なんでもっと「日本の技術水準の高さと、統制のとれた組織力を示した」ことを誇ろうとしないのか。そうでなければ、残り99.923%の成功の努力が報われないではないか。
  • 2007年1月21日
    • もし、リスニングテスト成績が、単語力や文法理解力と100%の相関があるとしたなら、わざわざお金をかけて、また、そのために多くの監督要員をストレスに晒してまでリスニングテストを実施する必要は全く無い。いっぽう、リスニングテストを実施しなければ測れないものが単なる音声識別力であったとすると、そういうことで点数に差をつけることがセンター試験としてふさわしいのかという議論が出てくる。このあたりは大学入試センターでもちゃんと分析しているはずだとは思うが、どうなっているのだろう。
    •  「リスニング能力が大切だからリスニングテストを実施すべきだ」というのは、テストとはどういうものかを知らない人の主張である。テストというのは何かを測り、それをもって差をつける手段なのである。リスニング能力が大切であるとしても、それが別の物差し(例えば、音声を伴わない文字だけのテスト)で十分に測れるのであればわざわざ実施する必要はない。

--------------------以上、要約・転載--------------------


 すでに述べたこと以外に新たに付け加えることはあまりないが、各種報道の中には相変わらず、「再テスト」と「再試験」を混同し、読者・視聴者に誤解を与えるような表現をしていることが目につく。このうち、「再開テスト」を実施したことについて「再テスト」や「再試験」と報道するのは誤報。即刻訂正してもらいたいところだ。

 あくまで私の理解している範囲で述べると、「再開テスト」というのは、リスニングの解答時間中に、何らかの事情でテストが続行できなくなった場合、同じ日に、残りの部分について解答してもらうという措置である。もちろん、機器故障による中断はゼロに抑えるべきであろうが、受験生自身が嘔吐・鼻血などで解答できなくなったり、またそのために隣りの受験生が影響を受けるということは、集団テストでは必ず起こりうる事態であってゼロにはできない。だからこそ再開テストという形で、可能な限り公平に受験機会を保障しようとしているわけで、再開テストを実施すること自体は、想定の範囲内である。

 なお、機器故障についてはこちらに、平成19年度大学入試センター試験英語リスニングテストにおける不具合等の申出があった機器の検証結果等が報告されている。回答中に不具合の申し出があった機器は406台、このうち机上からの落下等50台を除く356台を検証したところ、IC不良は6件、イヤホン不良2件、機器の使用環境に起因するものは17件にとどまっており、これに対して、受験生の長押し失敗によるとみられるものは47件、受験者が機器の不具合と受けとめたと考えられるものが275件というように、必ずしも、ハード面の不具合が原因ではなかった場合が多数含まれている。




 ま、それはそれとして、センター試験のリスニングテストでは、例えば、20分間の英語講演を聴いて、その内容の理解度を試すというような試験は実施上の制約から不可能となっている。なぜなら、そのような出題形式ではと、英語講演の途中で機器の不具合が生じた場合に同じ問題を使って再開テストを実施すると、聞き直しをした分だけ、再開テスト受験者のほうが有利になってしまうからである。ということもあって、試験問題は、いつ中断しても影響が少なくて済むように、細切れに作られ、(試験終了間際ではなく)時間経過に合わせて少しずつ解答をすすめるというやり方をとらざるをえない。そう言えば、1月20日付けの朝日新聞(大阪本社)一面に、

●話聞けない子ども増えた 国語入試にリスニング 公立高、8県に拡大

などという記事が載っていたが、センター試験と同じ方法をとる限りは、長時間話を聞かせてから解答させるのは無理。一斉放送など、別の方法をとるしかあるまい。

 次回に続く。