じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
12月30日に散策したラサ旧市街のアルバムをこちらに公開した。八角街(バルコル、八郭街)のあたりは2004年の元日にも一度訪れたことがあったが、その時は、観光客の多い表通りだけであった。今回は1時間半ほど余裕があったので、裏通りも散策。昔ながらのラサの雰囲気を感じることもできた。
そんななか、ちょっと驚いたのが、露店で売られていた野菜であった。野菜の種類や品質は、日本の八百屋さんで売られているものとそっくり。トマト、大根、白菜はど、いずれも規格を揃えているとしか思えないほどだ。ラサ郊外にはビニールハウスが各所にあり、太陽の光がいっぱいにふりそそぐため、真冬でも豊富な野菜を手に入れることができるようだ。 |
【思ったこと】 _80126(土)[心理])“ネガティブ”な要因のポジティブな生かし方(8) 昨年9月18日に書いた表記の話題について、質問を受けたので、これを機会に、私の考えをもう一度整理しておこうと思う。 ここで問題にしたいのは
まず【a】最初の問いだが、昨年9月18日にすでに書いたように、野球のキャッチャーが最悪の事態を想定しながらプレイをすることや、将棋や囲碁の対局で自分にとって最も不利な局面を想定するという場合には、いちいちネガティブな感情が伴うということは無いだろう。あらゆる可能性は想定するとしても、そのさいに、いちいち不安を感じていたのではたまったものではない。 いっぱんに、成功するか失敗するか分からない、というような先行きが不確定な状況においては、
しかし、昨年9月にも言及したように、ある種のタイプの人では、「失敗したらどうしよう」というネガティブな感情が確立操作になって、それから逃れよう(嫌子消失の逃避随伴性)、避けよう(嫌子出現阻止もしくは好子消失阻止の回避随伴性)という努力がより強化されやすくなり、結果として成功確率が高まるというような可能性が、種々の研究結果から示唆されているようである。したがって、万人共通というわけではないが、ある種のタイプの人において適度の不安確立操作を行うことは、課題達成を促進するという点で生産的な方略であると言える。 次に【b】の問いだが、阻止の随伴性による強化を可能にするためには、出現阻止されるべき事象が嫌子であること、もしくは消失阻止されるべき事象が好子であることが必要条件となる。現れても消えてもどうでもよいというような事象では好子にも嫌子にも機能しない。それゆえ、当該事象を習得性嫌子や習得性好子にするための条件づけ、あるいは当該事象の嫌子や好子としての強さを高めるための確立操作はきわめて有効であろう。不安を喚起させるような感情操作もそれに含まれるとは思う。但し、行動分析学の枠組みでとらえる限りにおいては、「不安」や「嫌悪」といった感情反応は結果としてそれが起こるかも知れないというだけであって、原因操作ではない。原因の操作はあくまで、嫌子や好子の強化機能を高めるということに尽きる。 日常生活行動ではふつう、複数の刺激弁別がセットで提示され、そのもとで複数の行動が同時に強化、弱化され、さらに複数の結果が同時に随伴するという仕組みになっている。例えば、「交差点では交通信号に十分注意して安全運転をする」というのは、少なくとも、
赤信号の時にアクセルを踏めば当然重大な事故につながる。信号無視のミスをおかす頻度の高い運転者に対して交通事故現場の悲惨な映像を見せることは、「赤信号の手前でアクセルを踏む」という行動の弱化と「赤信号の手前でブレーキを踏む」という行動の強化のための有効な確立操作になるにちがいない。 もっともそうは言っても、すべての運転者が、事故という悲惨な嫌子の出現を阻止するために安全運転をしているわけではない。通常は「交通規則を遵守する」という弁別行動が「安全で快適なドライブ」という好子出現で強化されている、というように包括的に捉えても支障ないだろう。 |