じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 3月5日の早朝は黄砂現象もおさまり、東の空には月齢26.7の細い月が見えていた。ストロボを使用して、月と散歩道沿いの梅の花のツーショットを撮ってみた。どちらもちゃんと写っていたのだが、問題は月の大きさであった。見た目の印象とは異なり、実際に写っていた月は梅の花一輪ほどの大きさ。天空にある月や太陽は、まわりの樹木や花などより過大視しがちであるという錯視の表れか。


3月4日(火)

【思ったこと】
_80304(火)[教育]大学教育改革プログラム合同フォーラム(18)現代GP環境教育(2)「持続可能な社会につながる」とはどういうことか(2)

 表記の分科会の参加メモ・感想の2回目。昨日も述べたように、副部会長・安井氏の挨拶は、儀礼的な挨拶というよりも基調講演に近い内容であった。分科会の事例報告としては異例かもしれないが、「持続可能な社会」の視点をさぐる上で大いに参考になった。

 「挨拶」の後半で安井氏は、「持続可能性」において
  • 長期的な観点がある
  • 地球レベルの視点がある
  • 人間活動が「非持続可能」の原因という認識がある
  • どのような経済活動を行うべきか
  • ヒトと地球をどのように考えるか=哲学性
  • 平等とは何かといった基本的事象を含む
といった共通点があることを指摘された。

 これらの点はまさにその通りだとは思うが、人間活動がなぜ「非持続可能」の原因になってしまっているのか、については、行動科学、とりわけ行動分析学の視点がぜひとも必要であると私は思っている。スキナーが55年も前に提唱した『科学と人間行動』の視点がいまだ上記に含まれておらず、共通の認識が形成されていないのはまことに残念である。

 どのような経済活動を行うべきかについては、市場メカニズムか規制的手段かなどという議論があることも以前、別の講演会で拝聴したことがあったが、要するにこれなどは、人間の行動のナビゲーションと適切なコントロールの問題であって、まさに行動科学が扱うべき課題なのである。今年の1月29日(火)放送のクローズアップ現代で、イギリスのヨーロッパからの“新しい風”【2】“低炭素都市”への挑戦を紹介していたが、具体的な数値目標をたてたり、「渋滞税」で自動車の乗り入れを規制したり、補助金で省エネ家屋の改築を促進するといった対策などはまさに、行動随伴性によるコントロールの事例といってよいかと思う。要するに、より効果的に施策を推し進めようとすると、けっきょくは行動に結果を付与するという、行動随伴性に基づくコントロールに行き着くほかはないのである。

 「挨拶」の最後の部分で安井氏は、究極の持続可能性をイメージする(Imagine Ultimate Sustainability!)という興味深い話題に言及された。石器時代以降の人類の歴史をふりかえってみるに、石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料をエネルギーとして使用していた時代というのはたかだか500年にすぎない。つまり我々が人類がいかに「超珍類」であるかということなのである。

 その珍類んもとで地球共生型シナリオはどうなるか。いまの人間活動の総量は地球の持続能力を超えており、少なくとも人口は半減させる必要がある。化石燃料依存から核融合依存に切り替えれば、エネルギー危機は回避できるだろうが、核汚染物質の蓄積や核戦争の突発により地球全体が滅びてしまうというリスクも、その分高まるとも言える。

 というような長期的な視点も必要であろうということは、「挨拶」を拝聴して十分に理解できた。もっとも、現代GPの要請が、そのような超長期的視点を備えた人材育成をめざすものであったかどうかは定かではないが。


 次回に続く。