じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 駐車場北側のミモザが見頃を迎えた。写真には4本が写っているが、このうち左の2本は、その左の樹の子株(実生)。ミモザは花が終わるとたくさんの種をつけるが、発芽率はきわめて悪く、実生で育つのは数株程度にすぎない。

 写真下は、写真上の右端の樹に接近したところ。アングルによっては、山の中に咲いているように見えてしまう。



3月23日(日)

【ちょっと思ったこと】

岩盤浴と、温浴施設内床屋を初体験

 日曜日の午後は、近隣の温浴施設へ。前回は温泉のみの利用であったが、今回は初めて、温泉と岩盤浴のセットプランを利用した。

 岩盤浴は初めての体験であったが、私自身は、岩盤の特殊な効果なるものは全く信じていないので、単に温熱効果がどうかなあという程度の関心しか持てなかった。高温サウナや塩サウナや蒸し風呂に比べると熱くなるまでに時間がかかりすぎる。せっかちの私なんぞは、やはり高温サウナや塩サウナに5分〜10分ほど入って、これ以上は無理だというギリギリのところまで汗を流し、今度は水風呂につかるという激しい入浴のほうが向いているように思った。

 そのあと、館内の床屋さんで散髪。もう一度風呂に入り直すことができるので、シャンプーもひげ剃りも要らないのが便利。温浴施設内の床屋さんというのは、誰が最初に考えたのかワカランが、とにかく良いアイデアだと思う。

【思ったこと】
_80323(日)[心理]第13回人間行動分析研究会(6)消去主義的唯物論

 今回は3番目の発表:

●行動主義から消去主義的唯物論へ

について感想を述べたいと思う(予告されたタイトルでは「消去的唯物論」になっていた)。

 この3番目の発表は、この研究会としては異例の、哲学専攻の方によるものであった。「消去主義的唯物論」というのは、ここでは、消去主義的唯物論の歴史的背景、Churchlands(チャーチランド)の主張、認知科学との関係、徹底的行動主義との関係などが論じられた。

 Googleで「消去主義的唯物論」を検索してみたところ、なっなんと、26500件がヒット。 このうちウィキペディアの当該項目では、以下のように解説されていた。
消去主義的唯物論

還元の試みはこれまですべて失敗してきたと考え、しかも、非還元的唯物論は不整合だと思う唯物論者は、最終的でもっとラディカルな立場を採用することもできる。それが消去主義的唯物論である。消去主義的唯物論は心的状態は日常の「素朴心理学」(フォークサイコロジー)がもちこんだ虚構的なものであると考える。消去主義者は「素朴心理学」を科学理論に類似したものと捉えるが、科学の発展の過程でその素朴心理学が間違いだと判明したなら、素朴心理学が想定していた実体もすべて放棄せねばならない。

パトリシア・チャーチランドやポール・チャーチランドのような消去主義者はしばしば、歴史上の間違っていたが、広く信じられていた理論や存在論の運命を持ち出す。たとえば、ある問題の原因が魔術だという信念は間違いだとわかると、その結果ほとんどの人はもはや魔女の存在を信じない。魔術は他の現象でもって説明されるようになったのではなく、ただ言説の中から「消去」されたのである。
 このほか2008年3月24日朝の時点では、こちらこちらの解説が目に留まった。

 もっとも、ネット上での諸議論では、「ワトソンやスキナーのように」という表現に代表されるように、ワトソンとスキナーの違いが理解されておらず、スキナーの原典を1ページも読まずに主張を展開しているケースも少なくないように見受けられた(←ネット上のコンテンツがあまりにも多いので、全チェックは不可能。あくまで印象のみ)。

 質疑の時間にも申し上げたことであるが、最低限、以下の2冊の訳本くらいは目を通していただきたいものだと思う。
  • Skinner, B. F. (1953).Science and human behavior.New York. Macmillan.[スキナー (著)、河合伊六・長谷川芳典・高山厳・藤田継道・園田順一・平川忠敏・杉若弘子 ・藤本光孝・望月昭・大河内浩人・関口由香(訳) (2003). 科学と人間行動. 二瓶 社.]
  • O'Donohue, W. & Ferguson, K. E. (2001).The psychology of B.F.Skinner. Sage Publications, Inc. [オドノヒュー・ファーガソン(著)、佐久間徹(監訳)スキナーの心理学. 応 用行動分析学(ABA)の誕生. 二瓶社. 2005]
 余談だが、スキナーが生まれたのは1904年3月20日。同じ時代の心理学者の中で、今なお影響力を持ち続けているのは、机上の論争はどうあれ、とにかく現実の行動の分析、予測、改善において着実に成果をあげていることによるものであると思う。チャーチランドであれ、デネットであれ、学問の世界でさまざまな議論が展開されていくことにはそれなりの意義があるとは思うが、現実に行動を変えたり、生きがいや平安をもたらしそれを維持していくためにはどういう環境が求められるのかという視点を持ち続けることも、併せて大切であろうとは思う。

 次回に続く。