じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ダイバージョナルセラピー研修会の懇親会風景。会場内は写真左のような奇怪な仮装集団で埋め尽くされていた。私も写真右のような衣装を着せられて変身。


4月20日(日)

【思ったこと】
_80420(日)[心理]ダイバージョナルセラピー研修会(1)

 表記の研修会が、千葉県・ユーカリが丘で2日間にわたり開催された。今回は、連続して実施された研修会の最終回となっていて、まとめの講演と参加者各自の事例報告等のプリゼンテーションが行われ、コメンテーターをつとめさせていただいた。

 この日記で何度も取り上げているが、「ダイバージョナルセラピー」【以下、DTと略す】というのは、医療効果をうたい文句にしたような特定の療法の呼称ではない。日本ダイバージョナルセラピー協会(DT協会)のサイトにも記されているように
ダイバージョナルセラピーとは、個々人の独自性と個性を尊重し、よりよく生きることをめざし実践する機会を持てるようサポートし、自分らしく生きたいという要求に応えるため「事前調査→計画→実施→事後評価」のプロセスに基づいて、個々人の“楽しみ”からライフスタイル全般まで、そのプログラムや環境をアレンジし提供する全人的ケアの思想と手法です。
という趣旨で発展してきた「全人ケアの要」であり、私自身は、オーストラリアで開催された2001年の研修セミナーに参加して以来、毎年、何らかのかたちで関連行事に参加してきた。今回の一連の研修会でも一度、講師をつとめさせていただいた。余談だが、この第1回のオーストラリア研修には、ユーカリが丘の開発を推進してこられた会社の役員の方も参加されており、そのこともあって、この町にはDTの考えを取り入れた高齢者福祉施設や、ケアガーデンなどが作られ、DT推進の拠点の1つとなっている。




 上記のDTの趣旨と私自身の専門との共通点としてはまず、「個々人の独自性と個性を尊重」を挙げることができる。これは要するに、集団全体の平均値ではなく、あくまで個々人本位で行動の変化をとらえるという考えと一致している。

 園芸療法を例に挙げると、園芸療法はDTの要素の一部に組み込まれてはいるが、福祉施設の利用者全員に園芸活動のイベントを実施し、平均値の有意差というレベルで何らかの効果が検証されたとしてもそれはDTとは言えない。DTの一環として園芸療法を実施するのであれば、まずは、利用者個々人に対してきっちりしたアセスメントを行うことが肝要である。その上で、利用者の人の中に園芸活動を楽しみとする人が居り、しかしながら老化による体力衰えや何らかの障害によって遂行が困難であることが分かった時に、それぞれの人の現状を考慮し、その人が可能な限り能動的に園芸活動を続けられるようにサポートすることがDTとしての園芸療法ということになる。同じことは音楽療法についても言える。利用者全員に合唱の練習をさせたり、ボランティアの人たちの演奏を聴かせてもそれはDTではない。アセスメントの段階で、かつて楽器の演奏を得意としてしていたが、楽器が壊れたり、演奏仲間が居ないために止めてしまっているという方がおられれば、その方の実情に合わせつつ、演奏活動が再開できるようにサポートすることがDTとしての音楽療法ということになるのだ。そういう意味では、どういうセラピーがDTに含まれるのか、どれは含まれないのかということは画一的には議論できない。あくまで個人本位で、含まれたり含まれなかったりするということになる。




 行動分析学とDTはもともと別物であって、オーストラリアのDT推進者の中でスキナーを知っている人はほとんど居ないように思われる。そのいっぽう、行動分析学の関係者でDTを知っている人も少ない。もっとも、私自身が実行委員長をつとめた2003年の年次大会では、日本のDT協会の現理事長の芹澤氏による公開講演会も行われている。あるいはそれが、両者をつなぐ唯一のイベントであったかもしれない。

 行動分析学がDTに寄与できるとしたら、まずは、アセスメント段階である。行動分析学はもともと、個体本位の行動変化を正確にとらえることを大得意としている。

 第二に重要な点は、「自発性低下」や「うつ傾向」が見られた場合に、その原因を「行動が適切に強化されていないこと」として、強化の原理から説明できることにある。もちろん、老化による体力の衰えや何らかの機能障害の根本原因は医学モデルに求めなければならない。しかし、そのことがダイレクトに「自発性低下」や「うつ傾向」をもたらしているかどうかは別問題である。多くの場合、体力の衰えや何らかの機能障害は、まず、能動的な行動が適切に(=適切な大きさと適切な確率で)強化される機会を奪う。そうなると、行動は消去され、何をやってもダメという事態が起こる。そのことが原因となって、「自発性低下」や「うつ傾向」が生まれてくるのである。であるからして、体力の衰えや何らかの機能障害を適確にアセスメントした上で、能動的な行動が引き続き強化されるように、強化機会を改善し、必要最低限のサポートを付加すれば、従来どおりの生きがいを保つことができる。これがDTとしてのセラピーということになると私は考えている。じっさい、行動分析学を全くご存じない方々にあっても、長年の経験の蓄積の中で、そういう配慮がなされ、適切にプログラムが遂行されたという事例は多々ある。それを理論的に裏付け、より適切な方策を見つけ出すという部分で、行動分析学は大きく寄与できると思っている。




 なお、「事前調査→計画→実施→事後評価(Assessment→Planning→Implementation→Evaluation)」も、大学教育改革でしばしば強調されるPDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act cycle)もそうだが、評価対象というのは、もともと入れ子構造になっているものであって、局所的(部品レベル)での改善ばかりでなく、大局的(全人的レベル)での把握や長期的視点にも目を向けないと、真の目的を見失ってしまう恐れがある。また、いくら評価が大切だからとしって、報告書づくりに多大の時間を割くことで本来の業務がおろそかになるようでも困る。何百年か後に、かつて大学があったという遺跡を発掘したら、(研究成果資料ではなく)評価報告書ばかりが出てきたということになっては困るのと同様、福祉施設にあっても、本末転倒にならないような配慮は必要かと思う。

 次回に続く。