じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡山大学構内のお花見(15)座主川沿いのツツジ
大学構内ではオオムラサキ系(ヒラドツツジ系)のツツジが見頃を迎えているが、中でも座主川沿いは、新緑や水の流れに囲まれてひときわ美しい。 写真上は、29日の朝に岡大西門のやや西側から東方向を撮影。写っている橋が西門入口。写真下は、30日の夕刻にその西門の橋から西方向を撮影したものであり、写っているツツジは同一。 |
【思ったこと】 _80430(水)[心理]ダイバージョナルセラピー研修会(8)アニマルセラピー 4月19日の午後に、ケアガーデンの一角に、ウサギ、イヌ、ヤギ、ロバ、カメなどの動物たちが出現し、自由に触ることができた。月に1度の「アニマルの日」のイベントということであった。 以前、オーストラリア研修旅行に参加した時に、セラピードッグが施設内を駆け回っているのを見たことがあるが、DTのプログラムの一環としてアニマルセラピーがどのように活用されているのかについては情報を集めたことが無く、詳しいことはよく分からない。 ここの施設の場合、月に1度程度、移動動物園の業者さんを呼んでふれあうということであり、施設として動物を飼育しているわけではなかった。また、移動動物園の性格上、いずも同じ動物を連れてくるわけではない。その時に体調が良く、またおとなしい動物を選んで連れてくるというような話を伺った。 昨日述べた園芸療法の場合もそうだが、事前、事後の評価をきっちりした上で、個人のニーズや要望に合わせて、動物とのふれ合いをプログラムにどのように組み込んでいくのかがカギとなるであろう。 ところで、一口にアニマルセラピーと言っても、長期間にわたり同じ個体とふれあう場合と、個体を識別せずに不特定多数の「かわいい」動物とふれあう場合では、及ぼす効果は異なってくるはずだ。前者のほうがインパクトは強いが、その動物が突然居なくなったり、死んでしまった時の悲しみも、それだけまた大きい。 私自身も、かつて学生の頃、近くの動物園を何度も訪れたことがあったが、アシカ、キバタン、ヒグマ、エミューなど、個体が識別できるようになるとそれだけ馴染みになる一方、そういう動物たちが死んでしまったという知らせを聞くとその分、悲しみも大きい。夕食後の散歩時によく出会ったノラネコが突然姿を消した時にも随分と心配したものである(幸いなことに、その猫とは333日ぶりに再開したことがあった)。 ま、左上の写真にあるような癒し系の動物たちは、一期一会でかわいがったほうが無難。馴染みになってしまうと行く末ばかり心配してしまう。 余談だが、高齢者の施設では、いろいろな水生生物を水槽に入れて飼うというのも一案ではないかと思っている。そのほうが、長期間同じ個体と関われるし、(私などは)一日中眺めていても飽きることはない。じっさい私自身も、ベタ、アカヒレ(コッピー)、座主川から採ってきた魚、スジエビ、ヌマエビなどを飼っているが、なかなか良いものだ。 次回に続く。 |