じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 農学部農場の麦畑がいよいよ収穫の時期を迎えつつある。左の写真は5月9日05時45分撮影。右の比較写真は、上が4月17日朝5時54分、下が3月15日朝8時25分に撮影。



5月8日(木)

【ちょっと思ったこと】

金平ごぼう

 夕食時にちらっと視た番組で、金太郎が大人になってからの名前は何か、というようなクイズがあった。私が中学生の頃、最初に登った山が箱根・金時山であったということもあり、正解が坂田金時であることや金時豆の名前の由来になっていることは知っていたが、坂田金時に坂田金平という息子が居て、金平ごぼうの名前の由来になっていたということは知らなかった。豆のほうがなぜ「金時」で、ごぼうのほうに息子の名前が付いたのかは謎である。

 もっとも、ウィキペディアの当該項目を見る限りでは、当時の史料である、藤原道長の『御堂関白記』に、下毛野公時という名の優秀な近衛兵が居たということが知られる程度であり、後に脚色されていったようである。

【思ったこと】
_80508(木)[生活]デジカメの新たな活用

 デジカメで写真を撮るようになったのは1997年12月25日である。第一号の写真は単なる試し撮りであったが、ちゃんとファイルとして保存してある。その後カメラの性能が向上し、また、ネットに高速で繋げるようになったこともあって、撮影行動はますますエスカレートしている。最近の旅行で撮った写真を数えてみると
  • 春休みのアイスランド旅行:6日間で1699枚
  • 4月下旬の岡山県立森林公園・蒜山縦走:2日間で436枚
  • GW中の帰省(出雲大社、三瓶山、海の中道海浜公園の写真を含む):7日間で670枚
などとなっており、旅行に出かける時には1日あたり、100〜300枚の写真を撮っていることになる。自分では殆ど意識していないが、端から見れば相当の写真好き、旅行の思い出に写真を撮っているというより、写真を撮るために旅行をしているように見えるかもしれない。

 2006年11月21日の日記に書いたことがあるが、世の中には、写真療法や、フォトセラピーに関する団体もあるようだ。

 私自身の撮影のスタンスは、

対象(主として植物や自然)と能動的に関わったことの備忘録として

であり、つまり、まずは能動的な行動ありき、その記憶を保持する手段として写真を撮るということが基本になっている。

 であるからして、風景をバックに自分の顔や姿を撮るということは滅多にない。アイスランドに行った時にも合計で10枚程度、つまり1日に1〜2回程度しか写ることはない。なぜなら、私が大事にしているのは、対象と向かい合うことである。じぶんの姿が写っている写真というのはこれとは正反対であって、対象を背にしてポーズを撮っているだけであって、そこで対象と関わったという証には全くならない。単に、自分の肉体がその場所の景色の一部になっていたというだけのことであり、せっかくの景観を損ねる役割しか果たしていないのである。




 以上がこれまでのスタンスであったが、最近、もう少し違った形の活用法があるということに気づいた。

 1つは、デジカメでなければ撮れないようなオリジナルのアングルがあるということだ。例えば、道ばたの花でも、アングルにより、高原のお花畑のように見えることがある。それは決してバーチャルな世界ではない。我々は通常、見下ろすようなアングルで足下の花を見るが、これはあくまで、無限に近い目線の1つだけの、限定された目線で眺めているにすぎない。デジカメを使えば、子どもや虫たちの目線で花を眺めることもできるというわけだ。

 昨日の楽天版に掲載した、ムラサキサギゴケの写真、あるいは、もう1つ前のレンゲの花の写真などもそうだが、これらは決して、仮想の世界ではない。但し、通常、立ったりしゃがんだりするだけではこういう景色は決して見られない。地べたに寝そべって、やっとこさそういう風景に接することができるのだが、デジカメで撮っておけば、もっと楽に、いつなんどきでも再生することができる。

 2つめは、過去に撮った写真と比較して、継続的な変化を楽しめるという活用法である。こちらこちらに比較写真を載せたように、季節の変化を楽しむことができる。あるいは、こちらのネコの写真や、こちらの時計塔の写真にあるように、季節以外の時の流れや、懐かしさを実感することもできる。1枚1枚の写真は、撮影時の瞬間を切り取ったものにすぎないが、比較という手段によって、平面状の写真を重ね合わせた直方体型の映像を楽しむこともできるのである。

 写真を撮る趣味は中学生の頃から続いているが、かつては、現像代のほか、プリント1枚あたり20円程度、葉書サイズに引き延ばせば80円程度、さらにはそれを収納する(台紙の)アルバム代がかかって相当な負担になった。いまや、そのようなコストは全くゼロ。ハードディスクの片隅に貯えておけばいつでも取り出せるのだから、便利になったものである。