じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡山大学構内のお花見(29)花ザクロ
大学構内の何カ所かに咲いている。八重咲きで、普通のザクロと違って実はならない。 |
【ちょっと思ったこと】
宗教「信じない」日本人7割 5月29日発信のネットニュース(YOMIURI ONLINE)によれば、読売新聞社が5月17日から18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかったという。 しかし、死んだ人の魂については、「生まれ変わる」が30%で最も多く、「別の世界に行く」24%、「消滅する」18%の順であったという。 素朴に考えると、「死んだ人の魂」が「生まれ変わる」とか「別の世界に行く」と考えること自体、ある種の宗教ではないかと思うのだが、その合計値54%に比べて、「何かの宗教を信じている」と答えた人が26%にとどまっていたというのはまことに興味深い結果である。 このギャップが生じた原因としては
なお、同じ調査の中で、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めたというが、先祖を敬うこと自体は宗教でも何でもなく、あたりまえのことだと思う。無神論者であっても先祖を敬うことに変わりはないはずだ。また、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」というのも、必ずしも宗教とは言えない。大自然には常に未知が潜んでおり、いくら科学が発展して「未知」が「既知」になっても、その研究からさらに新たな未知の世界が広がっていくものである。大切なことは、新たな未知に直面した時に、それを、安易に「神秘の力」や「超常現象」として思考停止してしまうことなく、「この現象は科学で解明できるはずだ」という作業仮説に基づいて、いろいろな説明の可能性を試してみる姿勢である。 少々脱線するが、「UFOは存在するか」というのも同様であり、「Unidentified」な「Flying Object」の存在を頭ごなしに否定することは間違っている。しかしそれを安易に「宇宙人来襲」で納得してしまったら思考停止である。あくまで、「これは何かの自然現象や錯覚として説明できるはずだ」という作業仮説のもとに、さまざまな可能性を検証していく姿勢こそが科学的であると言える。 元の調査だが、私自身は、生まれてこのかた、死んだ人の魂が、「生まれ変わる」とが、「別の世界に行く」と思ったことは一度もない。仮に生まれ変わっても、別の世界に行ったとしても、現在の自分との連続性が何一つなく、相互に影響を与えあうことが無ければ、「死によって消滅する」と考えても何ら問題は生じない。「前世がイヌであったから散歩が好きなのだ」とか「前世が蝶々だったから花が好きなのだ」というような合理的な予測ができるのであれば別だが、現状では、前世が何であったとしても今の人生は何の影響も受けておらず、したがって、自分自身は、今だけ存在していると考えても何の不都合も起こらない。というか、アイデンティティという概念自体、すでに、 「賞味期限」(あるいは「耐用年数」)が切れているという考え方もある(2006年3月9日の日記参照)。 もっとも私は、自分自身は大自然によって生かされており、自分が死ねば、そのすべては自然に融け込んで消滅していくという考えをずっと持ち続けている。そもそも、仏教とか神道というのは、そういう考えを象徴化、体系化していったものではないかなあ。であるからして、大自然を神と呼ぶのであれば、私自身はずっと以前から、神を信じていたことになるし、いずれ死をもって自然に戻ることを「あの世に行く」と表現するのであれば、それほど妙なことだとも思っていない。 岡山市北区? 5月21日の日記で、岡山市の区名意向調査の話題を取り上げたが、その投票結果が30日に公表された。 5月30日付けの山陽新聞ニュースによれば、4つの区割り案それぞれのトップは、北区、中区、東区、南区となっており、位置関係を表す最もシンプルな名称が圧倒的多数を占めていた。 ちなみに、私の住む地域は
かつて私は京都市北区に住んでいたことがあるので、「岡山市北区」が最終決定となった場合には(←かつ、政令指定都市移行が実現した場合)、人生で2回目の北区住民ということになる。 「北区」という地名は全国の政令都市どこにでもあるような気がしていたが、ウィキペディアの当該項目によれば、現時点では、 大阪市、名古屋市、東京都特別区、京都市、札幌市、神戸市、さいたま市、堺市、新潟市、浜松市の10区に限られているようだ。 ちなみに東京都23区の中で東西南北の名称がつくのは「北区」のみであり、小学生の頃は、なぜ「北」だけあるのだろうと疑問に感じたことがあった。 京都市では「北区」のほか「南区」もあったが、左京区、上京区、東山区、山科区などの京都らしい名称に比べると味気ない感じがした。もっとも、いくら京都には「京」のつく区名が多いからといって、「北京区」、「南京区」、「東京区」では、別の場所と間違えられてしまうおそれもある。 |