じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 中国地方は6月11日に「梅雨入りしたと見られる」との発表があり、今後しばらくは日の出も日の入りも見えにくいのではないかと思っていたが、実際には11日の夕刻から翌朝にかけて6ミリの雨が降っただけで快晴となり、早くも「梅雨の中休み」となった。今後一週間の予報はずっと晴れマークが並んでおり、どうやら「梅雨入り」判断のタイミングを誤ったものと思われる(いずれ訂正があるだろう)。

 写真はそんななかで見られた、田んぼに映る夕日(写真上、6月12日夕刻)と、田んぼに映る朝日(写真中、6月13日早朝)。写真下は、昨日の日記でも言及した「田んぼのパラレルワールド」(田んぼに映る逆さ風景、6月13日早朝撮影)。パラレルワールドの写真は、例によって、上下を逆さにして表示している。



6月12日(木)

【思ったこと】
_80612(木)[心理]人間・植物関係学会2008年大会(6)童話に登場する果物・野菜/デジカメで植物と関わるセラピーの可能性

 大会1日目には、このほか、外国の童話に出現する果物・野菜の種類や出現頻度、また、道端の植物との関わりを考察する口頭発表があった。

 どちらの発表も一連の研究の一部をなすものであり、前者に関しては、前回は、日本の民話が取り上げられていたと記憶している。童話の世界で、人々がどのような植物と関わってきたかということは、その時代の食文化を知る手がかりにもなるし、特定の植物に象徴的な意味を持たせている場合もあるだろう。例えば、グリムやアンデルセンの童話ではいずれも、果物としてリンゴの登場が多く、全体の約3割を占めているという。リンゴには、アダムとイヴの時代からの象徴的な意味があるように思う。もっとも、ウィキペディアの当該項目によれば、当時旧約聖書の舞台となったメソポタミア地方にはリンゴは分布せず、またその時代のリンゴは食用に適していなかったことからみて、後の時代に創作された俗説であると考えられているようである。

 この発表で少々気になったのは、調査対象となった童話が、いずれも原語ではなくて、日本語の翻訳書を対象としているという点であった。翻訳者は必ずしも植物や食文化の専門家ではないので、原語の果物や食物の名前を取り違えている可能性もあるように思う。また、翻訳の専門家の別宮氏が「What color is a brown bear?」を「シロクマは何色かな?」と訳したことでも知られているように、原語の対象物をそのまま正確に訳すよりも、文脈に配慮して、日本語の特性を活かすように別の言葉に置き換えたほうが効果が大きい場合もある。

 このほか、上述のアダムとイブの俗説にもあるように、同じ「リンゴ」という名称であっても、それが食用とされているかどうかは時代や文化によって変わるし、品種改良により形そのものもが変わることもある。グローバル化が進んだ今でこそ、世界各地の街角で同じような形の果物や野菜が売られるようになってきたが、一昔前には旅行した頃には、名前の分からない果物や野菜が、街角にいっぱい並んでいたものである。そう言えば、白雪姫の絵本ではとても大きな毒リンゴが描かれていることがあるが、こういう大きなリンゴが、グリムの時代から栽培されていたとはちょっと考えにくい。




 もう1つの道端の植物との関わりに関する研究も、一連の研究の流れをくむものであった。昨年度大会のご発表はまことに難解であったが、今回はいくらか理解できた。

 ちなみに、このWeb日記や、楽天版にもあるように、私自身も常にデジカメを持ち歩き、道端の花や樹木の写真を一日に何十枚も撮ることを楽しみとしている。翌日の別の方の発表でも、樹皮がガードレールを包み込むように肥大した樹と、その後、同じ樹が伐採されて切り株だけになってしまった写真が紹介されていたが、とにかく、デジカメというのは、ある瞬間を記録するだけでなく、継時的な変化を捉える上でもきわめて有用なツールになる。このWeb日記でも何度か言及したが、最近では、「フォトセラピー」や「写真療法」という言葉も知られるようになった(2006年11月21日の日記参照)。植物を育てることを主体とする園芸療法とは別に、デジカメで記録をとりながら、長期的な視点で思いを綴るような、人間・植物関係に特化したフォトセラピーのようなものがあってもよいのではないかと思う。

 次回に続く。