じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 西の空に沈む月齢6.4の月。今月は、上弦が7月10日の13時35分、満月が7月18日の16時59分であり、その後の8月1日19時13分が新月。この時に、シベリア、モンゴル、中国にかけて皆既日食が見られる。


7月9日(水)

【思ったこと】
_80709(水)[心理]「じっとして動かない」は行動か?(1)

 某授業で、受講生から、

●「じっとして動かない」というのは「死人テスト」による行動の基準をクリアしないので行動ではないとされているが、痛みをこらえてじっと我慢するというのはどうみても能動的であり、行動にあたるのではないか

といった質問が出された。

 この質問は、

杉山尚子・島宗理・佐藤方哉・マロット・マロット(1998). 行動分析学入門. 産業図書.

の223ページに記されている「好子出現の阻止による弱化」に関連する章で、歯科の治療中に暴れる子どもに対して、一定時間「じっとしている」という状態が継続した場合に、シールを与えるという形で行動を変容させる事例を取り上げたものである。当該テキストによれば、
  • 【「死人テスト」を合格しない間違った分析=「好子出現による強化」としての分析】シールなし→静かにしている→シールあり
  • 【正しい分析=「好子出現の阻止による弱化」としての分析】やがてシールがもらえる→泣きわめく→シールがもらえない
とされている。しかし、「歯科ドリルの不快音をこらえてじっとしている」というのは相当程度に能動的であり、死んだ人にはできないので、行動と言えるのではないかという疑問が出てくる。このことについては、このWeb日記や紀要論文等で何度か言及したことがあるが、最近の考えを含めて、これを機会にもういちどまとめてみたいと思う。

 まず、「死人テスト」の定義だが、これは、きわめて単純明快であり、

●死人にできることは行動ではない

というだけの意味である。この基準を設定することで、受身形(「〜される」)や否定形(「〜しない」)は、行動から除外される。これは、具体的にどのような行動をターゲットにするのかを考える上できわめて有意義な基準である。

 よく言われるように、例えば、「授業に出席しない」というのは死人でもできるので行動とは言えない。それゆえ、「授業に出席しない」を罰しても行動は変わらない。「授業に出席しない」という「行動」が生起したのではなく、「授業に出席する」という具体的な行動をターゲットとして、その行動をいかに強化するのかをプログラムするのが行動分析的な発想である。

 なお、いま“「授業に出席しない」を罰しても行動は変わらない”と述べたが、例えば、「授業を1回休むとマイナス5点」という随伴性を設定することは有効である。但しそれは、「授業に出席しない」という「行動」を弱化しているのではない。「授業に出席する」という行動を続けないと、単位という好子が失われることによって強化されているからこそ、その行動が続くのである。すなわち、
  • 出席する→やがて単位がとれる(やがて好子出現)
  • 出席しない→単位を失う(好子消失)
という好子消失阻止の随伴性が働いて、出席行動が強化されているのである(←単位を失わないだけのために授業出席するというのは本意ではないが)。

 「死人テスト」というのはとにかく、受身形(「〜される」)や否定形(「〜しない」)を「行動」から除外するという点で大きな意義があるが、単に、筋肉が動いていない、見た目が死人と同じように見えているというだけで、行動を区別しているわけではない。例えば、息を止めてじっとしているというのは死人でもできるが、生きている人間が水中に潜って息を止めていたら次第に苦しくなり、水面に浮かび上がって呼吸をせざるをえない。こうしてみると、死人テストというのは

【1】行動の断片ではなく、一連の行動(あるいは動作)全体において適用されなければならない。

という前提を置くことが必要ということに気づく。ボクシングの試合中に「殴られる」というのは受身的な状態であり「死人テスト」からみれば行動とは言えないが、一連の攻撃パターンの中で、軽く殴られて相手を油断させておいたあとに強烈なパンチを返すということがあれば、それは一連の行動全体として能動的であって、死人にはできない行動であると位置づけられることになる。

 このほか、「死人テスト」の適用にあたって留意しなければならないこととして、

【2】具体的な行動(それが生じているかいないかが客観的かつ量的に測定できることが原則)は何か?

という点がある。冒頭のテキストの事例では、歯科の治療台における「なきわめく」という行動は、量的にも程度や回数、持続時間を測定することができたので、具体的な行動であると言える。この場合、「なきわめかない」という補集合は、それ以外のすべての状態を含んでしまうので具体的であるとは言えない。

 当該テキストの224ページに、基準を設けて「じっとしている」時間を伸ばすことがシェイピングにあたるのかという補足説明があったが、これはなかなか的を射ているように思える。「じっとしている」ことをシェイピングしているのではなく、「暴れる」という行動の弱化の基準を変えているというのが正解。

 次回に続く。