じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡山大学構内でお花見(44)オミナエシ 2005年7月2日の日記によれば、ここにあるオミナエシは10年前に植えられた1株のポット苗の子孫であるようだ。最近では、実生でも繁殖している。 |
【思ったこと】 _80710(木)[心理]「じっとして動かない」は行動か?(2) 昨日の日記で、「死人テスト」は、
まず【1】だが、例えば、狩りをする時に、じっと動かずに獲物の出現を待つという行動は、「動かない」という断片だけで捕らえれば、死んだ人でもできるので「死人テスト」をパスしない。しかし、 狩猟場に出向く→獲物の出現を動かずにじっと待つ→獲物が現れたら、狙いを定めて引き金を引く という一連の動作の流れで見た時には、能動的な行動の一環として「じっと待つ」行動が組み込まれていることが分かる。死んだ人は、獲物が現れても引き金を引くことはない。獲物が肉食獣であったとしたら、逆に食べられてしまうかもしれない。 ここで留意したいのは、局所的(短期的)な強化と、巨視的(長期的)な行動形成との区別である。狩猟を始めたばかりの初心者は、獲物が現れた時に慌ててしまって不用意に動いたり、獲物が射程距離に入らないうちに引き金を引いてしまうといったミスをする可能性が高い。こうしたムダな動きは、 じっと待たずに動く→獲物消失 という形で弱化されるはずである。つまり、狩猟という一連の動作のうち、あるコンポーネントに限定して注目すれば分化弱化のプロセスが働いている。 いっぽう、その人が狩猟に出かける行動は、獲物の獲得という結果によって強化される。そうしてみると、一連の行動の中での「動かずにじっと待つ」というコンポーネントの出現頻度は、狩猟行動の頻度増大に比例して増加することになる。 このあたりの問題は、「行動の入れ子構造」、あるいは、Rachlinの目的論的行動主義の視点を取り入れないとうまく説明できないように思われる。 次に、【2】に関する補足であるが、行動はとにかく、いつ、どのくらいの回数、どのくらいの持続時間、...というように量的に記録できる形で具体的・客観的に定義されなければならない。昨日取り上げた、
なお、この事例で留意したいのは、もし「泣きわめく」という行動が出現したとすると、好子出現の可能性は直ちに阻止されるという点である。すなわち、行動の直後にサドンデスで生じる結果である。だからこそ効果が大きい。この「サドンデス」の事例は、マロットの2005年の論文: ●Malott, R. (2005). Notes from an introspective behaviorist: Achieving the positive life through negative reinforcement. Journal of Organizational Behavior Management, 24, 75-112. でも別の形で紹介されている。例えば、ある生産工場で 13 週間にわたり、不良品を出さないように注意深く作業をする→好子出現(従業員全員がディナーに招待される) という報奨制度が導入され、これにより不良品の発生率が低下したとする。この場合、形式的には、「注意深く作業する」という行動が「ディナー招待」という結果によって強化されたように見えるが、世の中、そんな緩慢な強化システムが機能するほど甘くはない。本当のところは、 ●注意を怠ると、その直後に、ディナーに招待される機会がサドンデスで失われる という好子消失阻止の随伴性によって維持されているのである。 もとの話題に戻るが、「じっと待つ」というコンポーネントであっても、例えば野球の犠牲フライのような状況で、 ●フライが上がったら、野手がボールを捕球するまでじっと待ってからタッチアップして走塁する というようなケースでは、「待つ」というコンポーネントの前後に「ボールが捕球されるかどうかを目で追う」、「捕球の瞬間を確認する」、「捕球の直後に走り出す」という一連の行動が連鎖しており、そのタイミングが重要であることを含めて考えると、きわめて具体的な要素が含まれていることが分かる。もちろん、【1】でも述べたように、局所的に見れば、「野手が捕球される前に走り出してしまった」というような行動は分化弱化されるであろうが、タイミングを計りながら待つという行動自体はきわめて能動的であり、「死人テスト」を十分にパスできる「行動」と考えることができるだろう。 次回に続く。 |