じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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埋められた世界の上に建つモノ

 薬学部・薬草園の南側に新しい施設が建設中であったが、7月24日の時点でほぼ完成した模様である。このあたり一帯は津島岡大遺跡があり、建物が造られる前には発掘調査が行われた。2月1日の楽天版に積雪時の遺構の写真あり。10年後、20年後には、地下にこのようなものが埋まっていたことは、一部の考古学関係者以外には忘れ去られてしまうだろう。


7月24日(木)

【ちょっと思ったこと】

岡山県民のヒットソング?

 夕食時に視た某テレビ番組で「岡山県民であれば誰もが知っているというヒットソングというのが紹介されていた。番組によれば、両備グループのCMソング「街は青春」がこれにあたるということであり、若者も中高年も、岡山出身の芸能人もみな「あっ、それなら知っている」と反応して、最初の一節を口ずさんでいたりしたが、うーむ、私自身は、そのような歌を聴いた記憶は全く無いなあ。岡山県民になったのは今から19年ほど前のことであり、少なくとも岡山生まれの19歳の若者程度には岡山のことを知っているつもりだったのだが、テレビをあまり視ないせいだろうか、歌詞はもとよりメロディー自体にも思い当たるところがない。

 ちなみに、両備グループ自体にはいろいろお世話になっている。特に、高速バス、タクシー、路面電車の利用が多い。また、こちらにあるように、両備ホールディングス株式会社取締役社長の小嶋光信氏は、岡山大学のエグゼクティブアドバイザーであり、大学としても日頃からいろいろとお世話になっている。

【思ったこと】
_80724(木)[心理]競争と資源と集団(1)

 今年度前期の授業がいよいよ終了間際となった。講義の場合は、おおむね、今週が授業の最終回、来週が期末試験という日程になっている。

 そんななか、行動分析学概論の授業の最終回では、「競争原理」に少しだけ言及した。2005年4月26日の日記でも触れたように、従来より私は、
...「競争原理」は人間行動を直接コントロールする原理ではない。「競争」という場には、行動を望ましい方向に活性化する要因が複数含まれている一方、弊害となる要因も同時に関与している。従って、「競争原理は良いか悪いか」という二者択一型の議論は無意味であり、むしろ、「競争」の良い面だけをどう取り込んでいくのかという部分に注意を向けることのほうがはるかに生産的である
と考えている。行動分析学の言葉を使えば、競争原理というのは、特定の行動随伴性のセットであり、実際に行動を活性化しているのは(あるいは、互いに足を引っ張ったり、不正行為を助長したりしているのは)、個々の行動随伴性の働きによるものであって、競争「原理」自体ではない。

 今回の授業では、このことと資源や集団との関係について、もう少し詳しく論じてみた。




 まず一般的に言えるのは、資源が無限にある時は、競争は「励まし」となるという点だ。例えば、友人と一緒に英語の外部検定試験の勉強をして、「TOEIC700点以上」のスコアを競ったとする。この場合、お互いをライバルにして頑張れば2人とも700点以上を達成することができるのであって、片方が50点増えたためにもう一方が50点減ったというような資源の奪い合いは起こらない。

 同じように、例えば、未墾の土地が無限に広がるような草原では、開拓した土地を自分のモノにしたからといって争いは起こらない。人それぞれが、努力の量と質に比例して好子を手に入れるだけのことである。

 このように、資源が無限にあるようなケースでは、資源獲得を目ざす行動は、好子出現の随伴性のみによって強化されることになり、競争参加者は概ね「善人」となる。他者をけなしたり、足を引っ張ったりする必要はゼンゼンない。みんな気前よくなり、お互いの努力を称える。

 もっとも、資源が無限にあるような世界では、あまり努力しなくても欲しいモノは手に入る。よって、一部の人は、当該の行動や努力には無関心となり、資源を費やすだけの怠惰な生活にあけくれる恐れがある。

 なお、ここでいう資源というのは、生産活動に必要な資源のほか、人間がゲームや比較のために勝手にこしらえたようなものも含まれる。

 物理的資源が無限であっても、順番をつけたり、上位者のみを表彰するような場合には、そのことに限って資源は有限となる。例えば、走り幅跳びの競技では、それぞれの選手が何センチ飛ぶかという記録自体は、他者には依存しない。自分が努力すれば、それなりに記録を伸ばせることができるので資源は無限といってよいだろう。

 しかし、例えばオリンピックでメダルを狙うということになると、金メダル1、銀メダル1、というようにメダルという資源は有限になるので、他者との争いが始まる。それが良いか悪いかは別として、現実の多くの場面では、資源が有限であって、その奪い合いか、ゼロ和ゲーム自体であった時に競争自体が発生すると言ってよいだろう。

次回に続く