じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 自宅で昼食をとろうとしていたら、カーテンの合間から、京山の頂上にある観覧車(2007年5月6日に閉園した岡山スカイガーデンの施設)が突然閃光を放っているのが見えた。

 季節によってこの観覧車が、光の輪のように輝くことは、2008年3月10日付けの楽天版他で何度も言及しているところであるが、光の輪が出現するのはいずれも夕刻時に限られていた。また今回の閃光は、従来とは光り方が異なっている。観覧車の透明な屋根部分が雲間から射し込んだ日の光で反射しているものと思うが、逆光になるはずの真っ昼間にどういう仕組みで閃光を発するのかは謎である。


8月25日(月)

【ちょっと思ったこと】

セミはみな孤独である

 1日前の話題になるが、日曜日の夕食時に観たトコトンハテナという番組で、東京のセミの話題を取り上げていた。

 私自身は東京・世田谷生まれであるが、昭和30年代には世田谷にはミンミンゼミは1匹も居なかったと記憶している。鳴いていたのはもっぱらアブラゼミとツクツクボウシ。ミンミンゼミの鳴き声は、「浅川」(今の「高尾」)にあった親戚の家に泊まりに行った時にだけ聞くことができたので、ミンミンゼミと言えば田舎、というようにインプリンティングされていて、いまでもミンミンゼミの声を聞くと特別の懐かしさを感じることがある。

 もっとも、ウィキペディアの当該項目にも記されているように、今ではミンミンゼミは東京都心に多いセミということになってしまった。今の環境で育った人たちはおそらく、ミンミンゼミの鳴き声を聞くと賑やかな都心を思い出すようになるだろう。

 ところで岡山のほうのセミ事情であるが、8月下旬ともなって、さすがにセミの声は下火となっている。午前中によく鳴くクマゼミは殆ど姿を消し、また昼過ぎから午後によく鳴くアブラゼミやツクツクボウシも16時くらいになるとすっかり声を潜めてしまう。秋の虫たちのほうがよっぽど賑やかになってきた。

 先日、龍ノ口グリーンシャワー公園の山歩きをした時には、まだまだアブラゼミ、ニイニイゼミ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミがまだまだたくさん鳴いていた。

 道を歩きながらふと思ったのはセミたちはみな孤独であるということだ。彼らは別段、みんなで連携して合唱をしているわけではない。単に、配偶者を求めて自己主張をしているだけである。8月2日の日記にあるように、みな、はかない最期を迎えることになるのだ。ま、セミに限らず、山の中を飛んでいる蝶や蛾やトンボたち、さらには一本一本生えている植物たちもみな、孤独である。

 もちろん生き物たちはみな、お互いに影響を与え合い、時には依存し合って生きている。しかし、「影響を及ぼす」とか「依存する」ということは孤独でないことの証拠にはならない。個体はその定義上、孤独であるのが当たり前。カムチャツカのヒグマやサバンナのライオンに自分の頭を囓れない限りは「一体化」などできっこないのである。

 山歩きをしていてセミの鳴き声を聞く意義とは、要するに、セミたちも自分と同じように孤独に生きており、それが当たり前であると実感することにあるのだ。ま、夫婦で山歩きすれば孤独でないように見えるがそれも幻想にすぎない。どんな仲の良い夫婦もいつかは死に別れることになるのである。

 少々、話題が飛躍してしまったが、セミについての雑学的情報は2006年8月26日の日記にもあり。その日付からも分かるように、セミのことが話題になるのは、おおむね8月いっぱいということになりそうである。