じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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岡山大学構内のキノコ(6)キノコ3兄弟
昨日の日記に述べたように、10月5日の岡山は、朝07時台から雨が降り始め、6日の午前01時頃まで、18時間近い連続降雨を記録した。6日朝の時点での24時間総雨量は42.5ミリであった。 9月以降雨が多いこともあって、大学構内では、ほぼ同じ場所で繰り返しキノコが出現している。写真は、9月2日の撮影場所のすぐ隣りに出現したキノコたち。前回と同様カラカサタケの仲間(毒キノコのオオシロカラカサタケの可能性大)であると思われるが、こちらの写真とは外見がかなり異なっており、頭のてっぺんだけ毛が生えた人形のような形になっている。このキノコの場合、気温や湿り気、地下での菌の発達具合によって、地表に出る形にはいろいろな変化があるようだ。 |
【思ったこと】 _81006(月)[心理]日本心理学会第72回大会(13)超高齢者研究の現在(5)超高齢期の身体・心理・社会的機能とWell-being(2)well-beingのパラドクス(1) 超高齢期の身体・心理・社会的機能とWell-being という話題提供についての感想の続き。 まず、前回も言及した「長寿社会における高齢者の暮らし方に関する学術調査」の結果であるが、85-89歳群、90-94歳群、95歳超群で横断的に比較したところADLやIADLなどの身体機能、MMSEで測定した認知機能、量的側面であるネットワークのいずれにおいても超高齢者では機能低下や規模縮小が認められたという。“健康”や“意欲”を標榜していてもやはり文字通り、寄る年波には勝てないという状況にあるようだ。 しかしその一方、一部で“well-beingのパラドクス”を支持するような結果も見られたという。具体的にはPGC得点、あるいは精神的健康(WHO-05)や主観的健康感に関して、超高齢になっても平均値が上昇したり維持する部分が認められたということであった。なお、これに関しては、このあとの別の話題提供でも“エイジング・パラドックス”という形で言及された。要するに、一般に、高齢者の幸福感は身体機能の低下と比例関係にあると言われているが、超高齢者になると必ずしも正の相関関係が維持されない。また、高齢者より超高齢者のほうが幸福になるというようなパラドックスもあるらしいが、まずはそれをどのような形で実証するのか、またそれが真実であったとしても、個体内で変化するものなのか、超高齢者として生き残った人たちの固有・不変の特徴であるのかを検証することはなかなか難しいようである。 さて、元の話題に戻るが、超高齢になると、身体機能は低下し、社会関係も狭まっていく反面、世話をしてもらうことによって誰かと一緒に時間を共有できる機会が増える。その際、受身的に面倒をみてもらうばかりでなく「自分も何かのかたちでひとを支えられる存在であることを実感し、自己効力感がある」という状況にあると、主観的幸福感の維持、増加につながるようであった。その場合、男と女では相違があり、男性の場合は、「家族がそばに居て、家族からサポートを受け、孤独感が低い」ことが重要となる。いっぽう女性の場合は、どうしても一人暮らしを余儀なくされることが多い。なぜなら、もともと女性のほうが平均寿命が長いことに加えて、結婚時にも、妻より夫のほうが年長であり、その分、先立たれる可能性が高いことに起因している。それゆえ、男性のように、「家族がそばに居てサポートを受ける」ことは困難であり、むしろ「自己効力感の高さや、家族以外の人たちとのつながりを保持し、自らもサポートを提供するなどの主体的存在でいられることが重要」となってくると指摘された。 いま上に述べたことをもう一度私自身の言葉でまとめ直してみると、要するに、男性の場合は(私自身もそうだが)、夫婦関係が円満で、妻に支えてもらっている限りにおいては、家族以外との付き合いが全くなく、家にこもっていたとしても比較的幸せで居られる可能性が高いと言えそうである。もっともこれは、夫婦関係が円満であり、妻が献身的に支えてくれた場合に限ってのことである。実際には、一方的に妻に甘えるわけにもいかず、時には妻にも苛められることもあるだろう。そのいっぽう女性の場合は、友人や隣人、地域コミュニティなど、家族以外の人たちとの良好な関係を築き、相互のサポート関係を保っていくことが重要であるようだ。妻に先立たれた男性の場合もこのケースと同様であり、本質的な男女差があるわけではないと思う。 いずれにせよ、いくら「生涯現役」とか「活動理論」とか言っても、中年期や前期高齢期の能動性や活動性をそのままの形で維持することには限界がある。むしろ、現実を受容した上での質的な変換、創造的適応が求められるというのが、話題提供者の論旨であると理解した。 もっとも、中年期や前期高齢期に、組織や地域で先頭に立って活躍していた人たちがすんなりと上記の「質的転換」をはかれるのかどうかは不明である。スポーツ選手(←この場合は、かなり若い時期だが)、会社勤めの人たち、農業従事者、政治家、芸術家、学者などさまざまな職種において、どういう場合に転換がはかられているのか(あるいは転換に失敗しているのか)を縦断的に把握していく必要はあると思う。現役時代にはそれほど目立たず、マイペースでゆったりと暮らしていた人のほうが、高齢期になってもそのままのライフスタイルを維持して長生きしていく可能性もあるかもしれない。 次回に続く。 |