じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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§§ 岡山大学構内でお花見(61)ルリマツリモドキ

 何年か前から、大学構内の一角で自生している。何かの花苗にくっついて殖えてきたものと思う。


10月19日(日)

【ちょっと思ったこと】

大学構内で勝手に「収穫」する人たち

 収穫の秋を迎えたが、この時期、大学構内では変わった「収穫」風景をみかけることがある。

 いちばん目立つのは、農学部構内のイチョウの樹によじ登ってギンナンを「収穫」している人たちである。以前から近所の人がビニール袋を持ってギンナンを拾っている光景はよく見かけたが、樹に登る人はどうやら、ギンナンを売って生計の足しにしようとしている人たちのようだ。中には、農場の柵の中まで入り込んで拾っているケースがある。少々行きすぎであるようにも思う。

 19日には、心理学の施設前のザクロを「収穫」している男性を目撃した。ザクロの実は放っておけば下に落ちるだけなので、欲しい人がいれば持っていっても構わないとも思うが、わざわざ大学構内まで入ってきて勝手にむしり取る人のはどういうなのだろうかと思ってみたりする。

 それより前の平日、大学構内の花壇から花を切り取って紙袋につめている中高年女性に出くわした。心理学施設の前に立って花を見ているところだったので「何か御用ですか?」と尋ねると、きまりわるそうに「ちょっと花をいただこうと思って」という。これもよく分からないことだ。この人は、公園、さらには他人の玄関先に咲いている花でも平気で切り取って自分の家に飾ろうとするのだろうか。とりあえず、「ここに咲いている花は、公共的なものでみんなで楽しむものです。ここは草原ではありません。持ち帰るのはドロボウと同じことになります。」と「お説教」したところ、「今後気をつけます」と返事されたが、うーむ、「気をつけ」るというのは、ボンヤリしてミスをおかすときに使う言葉であって、「花を盗らないように気をつける」という表現は「気をつけないと、うっかり花を盗ってしまう」という意味にも受け取れる。この人の道徳観はどこへ言ってしまったのだろうか。

 ここで取り上げた3例はいずれも中高年以上の大人ばかりである。道徳教育の必要性を訴える人が多いが(私も必要だとは思うが)、「モラル崩壊」はこの例が示すごとく、大人のレベルでもありそう。

【思ったこと】
_81019(日)[心理]日本心理学会第72回大会(23)超高齢者研究の現在(15)

 話題提供の最後のところでは、トレンスタムのオリジナルインタビューガイドを用いた半構造化面接の結果も紹介された。その中で、特に興味深く拝聴したのは、日本人高齢者に見られたという以下のような特徴的であった。
  • 依存の肯定:離脱と同時に他者への依存も強まる
  • 宇宙的意識についての違い:日本人高齢者がいだく「神秘性」は、「生の神秘性」に限定される
 以上、かなり長期間にわたって連載を続けてきたが、老年的超越について私自身が考えることは以下の通りである。
  • 老年的超越は、そもそも尺度で測れるのか?(あまりにも多様であると、尺度で数量化評価しても意味がないし、ごく少数の人の特殊なスタイルが見逃されてしまう恐れもある)。
  • 老年的超越は、高齢者の理想なのか、他にとる道が無いという流れの中での妥協と適応の産物なのか。
  • 老年的超越に達することができないうちに最期をむかえる高齢者の生きがいはどう考えていけばよいのか。


 次回に続く。