じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 2008年版・岡山大学構内の紅葉(14)ハナミズキの赤い実を接写

 11月10日の日記にも掲載したように、この季節のハナミズキの赤い実はまことに美しい。但し、樹の高いところに実をつけているので通常は接写が難しい。今回の写真は移植されて4〜5年の若木であることもあり、すぐ横の階段の途中から、イチョウの黄葉と半田山を背景に撮ることができた。


11月16日(日)

【思ったこと】
_81116(日)[心理]日本心理学会第72回大会(42)well-beingを目指す社会心理学の役割と課題(12)航空機事故遺族の“well-being”(3)

 11月13日の日記の続き。

 話題提供の後半では、事故遺族の方々と一般遺族の方々において死別後にどのような変化が起きるのか、4つの因子について比較された。ここでいう4つの因子とは
  1. 生の意義:生命の大切さ。居ることが当たり前だとは思わなくなる。他人を思いやる気持ち。人の死を無駄にしない。
  2. 人間的成長:自分がひとまわり大きくなったような気がした。困難に立ち向かっていけるようになった。
  3. 死へ関心:自分の死についてもっと考えるようになった。
  4. 意欲低下・人生不信:新しいことに取り組もうという意欲が低下。人間の醜さや邪悪さを感じるようになった。
であり、スライドのグラフでは、いずれも事故遺族群のほうが高いスコアを示しているようであったが、そもそも、この4因子がどういう研究から抽出されたものであったのか、結果についてどういう解釈をされていたのかは、拝聴してからすでに2カ月近く経っていることもあり、残念ながらすっかり失念してしまった。




 改めて上記の「4因子」について自分なりに考えてみるに、上記の「生の意義」、「人間的成長」、「死への関心」は必ずしも独立したものではなく、特に、生の意義について考えれば考えるほど、それを阻害し消滅させる死への関心も高まるような気がする。2.の「人間的成長」は主としてストレス対処力や、困難に立ち向かう力のことを言っているのだと思うが、これも「死への関心」と無関係ではなかろう。

 最後の「意欲低下・人生不信」は、もう少し詳しく引用すると、
  • 新しいことに取り組もうという意欲が弱まった。
  • 困難を乗りこえられるという気持ちがうすらいだ。
  • 他人を信用しようという気持ちが弱まった。
  • 人間の醜さや邪悪さを感じるようになった。
  • 世の中は理不尽だと感じるようになった。
  • 以前ほど努力や善行が意味あるものとは思えなくなった。
というような内容であったようだが、これらは全般に、2.の「人間的成長」の対極であって、少なくとも意味内容としては独立していないようにも思えた。

 余談だが、上記の「意欲低下・人生不信」は、重大な事故や死別を体験しなくても、老化とともに自然にその傾向が強くなってくるような気もする。私などは、まだまだ、新しいことに取り組む意欲は強いものの、「他人を信用しようという気持ちの弱まり」、「人間の醜さや邪悪さ」、「世の中は理不尽」といった「気持ち」は若い頃からずっと持ち続けており、今さら訊かれても「そんなの当たり前やないか。それがどうした?」と答えざるを得ないところがある。そう言えば、最近では、私のところには一晩で100通近いSPAMが送りつけられ、また、たまに研究室にかかってくる電話は大半がマンション勧誘である。また、世間一般では相変わらず振り込め詐欺や諸々のインチキな勧誘が多い。今の時代、「他人はもともと信用できないものであり、醜く邪悪。世の中はもともと理不尽であり、すべてを善意に受け取っていたらボロボロにされてしまう」をデフォルトとして世間に接していたほうがリスクが少ないようにさえ思える。残念なことではあるが。

 次回に続く。