じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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大学構内で見かけたヤギたち。ここで飼われているヤギは去勢したオスばかりで、ミルクはとれないというような話しを聞いたことがあったが、今回目撃したヤギの中には、明らかに母ヤギと子ヤギが混じっていた。新しい実験を始めるのだろうか。
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【思ったこと】 _81215(月)[心理]日本園芸療法学会第1回大会(2) 園芸療法学会というと、土いじりの好きな人たちがお互いの親睦を深める団体、あるいは、園芸療法であらゆる病気を治せると信じている新興宗教団体のように思う方もおられるかもしれないが、実際はあくまで、園芸療法の効果に関する実証的研究と、資格認定という形で実践場面での質の向上をめざして設立された学術団体であると私は理解している。 会員数はまだ3桁そこそこではないかと推測されるが、今後、各種の医療施設や福祉施設などで園芸活動の効用が認知され、園芸療法士という認定資格をとることが有利にはたらくような仕組みができれば、飛躍的に発展する可能性もある。また、これまで資格認定を行ってきた人間・植物関係学会のほうは、園芸に限定せず、森林療法、農業、植物観察、二次利用など、人間と植物とのかかわりを幅広くテーマに含んでいるので、競合することはあるまいと思う。 いずれも小規模な学会ではあるが、あまり大きくなりすぎるとかえって弊害も出てくる。少し前まで感想を連載していた日本心理学会の年次大会のような規模になると、人は大勢集まるものの、同じ時間帯に10も20もの会場に分かれて講演やシンポやワークショップが並行して開催されるため、全日程をフル参加しても、全体の企画の1/20程度の会場にしか顔を出すことができない。しかも、それぞれの会場の参加者は、ワークショップであればせいぜい50人程度、時には10数人ということもある。100人規模の学会が全日程1会場制で講演や口頭発表を行ったほうが情報を共有でき、経験が蓄積されていくのではないかという気もする。 さて、昨日の日記でも述べたように、園芸療法学会の研究活動では、単に「園芸」という領域に特化された研究を行うことにはとどまらず、むしろ、「園芸」を1つの検討ツールとして、さまざまな療法、セラピーに一般化可能な、複雑系、全人的、長期的視点に関わる諸課題を広く検討していくことになることが期待される。大げさに言えば、園芸療法という領域で、全人的かつ長期的な効果を検証する方法が確立できれば、そのかなりの部分は、他の何百何千にも及ぶような「療法」、「セラピー」にも適用できる可能性があるということだ。 もちろん、検証ツールの一般化とは別に、園芸療法固有の特性というのもある。いくつか挙げてみると、
もとの一般化の話題に戻るが、園芸療法の効果検証は、全人的、長期的に行われなければならない。伝統的な実験的方法を否定するというわけではないが、例えば、 被験者を2群に分け、実験群のグループは園芸作業に従事。対照群のグループはその時間は何もしない。作業開始前と終了後に、いくつかの生理的指標、種々の評定で変化を測定し、有意差があるかどうか検討する。というようなやり方で効果を測定しても、それは全人的、長期的な効用の1%にも満たないような些細な検証にすぎない。測りやすいとか、研究業績としての成果を出しやすいという理由だけで、この種の実験室実験を繰り返していても本当の効果検証にはならないのである。この種の限界があることは、第一回の大会参加者の中ではかなりの共通認識になっているように感じられた。 心理学実験法の話をする時、「柱時計の効果」と「柱の効果」の違いを例に出すことがある。室内の柱時計がどれほどのリラックス効果をもたらしているのかを検証しようと思えば、単に、柱時計を取り付けてある条件と、それを取り外した条件で気分評価を行えばよい。しかし、室内の真ん中に大黒柱があったとして、その柱のリラックス効果を検証しようという場合には、そう簡単には取り外しはできない。柱を取り除いてしまったら建物そのものが崩壊してしまう。つまり、柱というのは、建物全体の構造に影響を及ぼしている要因であって、独立的には操作することができない。 園芸療法の場合、見かけ上は、「園芸療法を行った条件」と「行わなかった条件」を比較するという形で柱時計型の実験検討を行うことは可能ではある。しかしそれは、高貴なお方が、お手植え松の行事でほんのちょっと土をかける程度の作業についての効果検証のレベルである。園芸活動が、日常生活行動の一部を構成し、日々の生きがいにもなっているようなケースでは、園芸活動と他の諸活動は必ずしも独立ではなく、相互に連携し影響を及ぼしている。その全体の効用を調べようとするのは、ちょうど、建物の一部を支えている柱の効果を調べるようなものである。実験群と対照群の比較とか、ベースライン条件と実験条件を交代させる単一事例実験だけで片付けられるような問題ではなかろう、と思う。 次回に続く。 |