じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ §§ 岡大構内の木の実、草の実(1)クロガネモチ
紅葉の季節がほぼ終わり、代わって木の実や草の実が目立つようになってきた。写真左は、岡大構内でも最も目立っている図書館・時計台横のクロガネモチの赤い実。耐震補強工事後の新装時計台とのツーショットは今年が初めてとなる。

 なお時計台には、雌株と雄株のクロガネモチがあり、実がなるのは当然、雌株のほうだけとなる。右は開花時の写真。関連記事が、2008年5月29日の日記にあり。


12月17日(水)

【思ったこと】
_81217(水)[心理]日本園芸療法学会第1回大会(4)

 午前中2番目の発表は、デイサービス利用の高齢者への園芸療法の効果を長期的に検討したものであった。対象者は要介護1の70〜80歳代の女性3名。園芸活動は、施設の中庭と屋内のサロンで月1〜2回、各1時間実施された。園芸活動の内容は、園芸活動のほか、クラフト(フラワーアレンジ、押し花など)、さらに活動後のお茶の時間では参加者相互の会話を促したということであった。評価には、ICFを基盤とした初期評価、さらに、認知機能検査MMSE、淡路式園芸療法評価表(HT-T3)が使用された。

 3名の対象者の方々の健康状態、心身機能、環境因子、主観的次元などが初期評価され、これに基づいて、「意欲の低下抑制」、「自信の低下抑制」、「精神機能の低下抑制」などが園芸療法目標として設定された。

 実施日ごとの各評点の推移をグラフで拝見したところ、全般的に顕著は上昇は認められないものの、特段の低下もなく、「低下抑制」という目標は最低限達成されているようにも見受けられた。

 このほか、行動観察により、「自主的行動の増加」、「他者への援助行動の増加」などが見られたということであった。




 以上の報告について思ったのは、まず、園芸療法の実施が、それぞれの人に対する各種評価の評点にどの程度影響を及ぼしていたのかという点である。発表の考察部分では「月2回の園芸療法とデイサービス来所時の自主的な植物の世話などは,対象者の認知機能の維持や日常生活における意欲の維持・向上に一定の効果があることが示唆された」というような記述があったが、フロアからも同様の指摘がなされていたが、月2回、各1時間程度の園芸活動が、それぞれの人の全般的な認知機能維持や日常生活の意欲にどの程度のポジティブな影響を及ぼしていたのかは何とも言い難い。

 では、園芸療法は全く無意味なのかと言えば、それもまた断定はできない。すでに何度か述べているように、園芸活動という部分だけを切り取って単独の効果を検証してもあまり意味がない。それよりも、個々の対象者において、園芸活動が日常生活全般にどのように組み込まれ、(無理強いではなく)自然の強化随伴性のもとで自発的、能動的、主体的な活動として持続できるようになったのかどうかを評価した方がはるかに生産的であるように思う。

 次に、園芸療法の目的として「意欲」や「自信」の低下抑制が掲げられたという点であるが、もともとこれらは、エネルギー源のように貯えられて何にでも使えるというようなものではない。稀には「すべてに対して意欲がある人」、「何をやっても自信満々(←自信過剰?)」という人も居ないわけではないが、たいがいの人は、個々の行動のうちある部分には「意欲」を示し、また、限られたジャンルに対して「自信」を見せるにすぎないのである。肝心なことは、園芸活動なり種々の日常行動が、(無理強いではなく)正の強化という形でどれだけ活発に生起しているのか、また、個々の活動が相互に強化しあい、中長期的な方向性をもって連動しているのかといった点にある。活動に熱中している人や何かに興じている人は、その行動が起こっているということ自体が十分なエビデンスなのであって、その人に改めて、何とか尺度の質問紙調査をしたり、生理的指標で客観的(?)数値を得ようとするのは時間とカネの無駄と言わざるを得ない。

 あくまで(今回の発表とは直接関係の無い)一般論としての感想になるが、心理学の卒論研究などでも、対象者の顔や行動には全く視線を向けず、対象者が回答した質問紙の評点だけで行動現象を分析しようとする風潮が無いとはいえない。恋人が自分のことをどれだけ愛しているのかを知ろうとして、恋人の顔も見ずに「愛情尺度」の質問紙検査をやってもらうようなものだろう。


 次回に続く。