じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 12月24日の朝はよく晴れ、最低気温は0.1℃まで下がった。写真は農場の降霜風景。なお25日朝は曇りがちだったこともあって最低気温は6℃台にとどまった模様。


12月24日(水)

【ちょっと思ったこと】

形の上では冬期休業に

 岡大では12月22日(月)までが平常授業、23日から1月7日までが冬休みとなっている。教職員の正月休みは通常は12月29日から1月3日までであるが、今年は土日の配列の関係で、12月27日(土)から1月4日(日)が休業。さらに、私自身は出張や入試の関係で25日(木)と26日(金)を振替休日にしているため形式上は、25日から出勤を要しない休業期間に突入した。

 といってもまだまだやるべきことが多い。また、この時期に研究室や実験室内の不要書類や不要品を一気に処分しようと思っている。こういう作業は、いずれやろうと思っているといつまでも先延ばしになってしまう。年末は、「年内にこれだけのことはやっておこう」というような達成・完了志向ムードが高まるので(←多少中途半端に終わっても、年内にここまでできたという達成や完了が好子になりやすい、という意味)、その分活発に作業しやすい。

 なお、今年の正月は、海外への旅行計画は一切ない。12月29日頃に帰省する予定。年明けは、1月6日まで年休をとってある。高速道路状況や気象条件を考慮しつつ、遅くても6日の夜までに戻ってくる予定である。

【思ったこと】
_81224(水)[心理]日本園芸療法学会第1回大会(10)中村桂子氏の基調講演(4)複雑系としての園芸療法

 昨日の続き。

 中村氏は御講演のあと、16時からのパネルディスカッションにも登壇され、いくつかの貴重なコメントをされた。その1つは生物との関わりの中でも植物には特別な力があるということ。2つめは、植物と関わることには人的交流を含めた広がりがあるということ、3番目は、「複雑系としての園芸療法」、4番目は「べてるの家」についてのコメントであった(※)。

追記]「べてるの家」については2番目の小澤氏の講演の中で言及されていた。

 このうち3番目の「複雑系」という言葉はたいへん気に入った。私自身が執筆予定の論文のタイトルとしてぜひ、使わせていただこうと思っている。

 中村氏が意味するところの「複雑系」とは要するに、Evidence-basedが重要視される時代であるからと言っても、過去の自然科学の方法で園芸療法単独の効果を検証してもあまり意味がない、もっと全人的な効果や相互作用に目を向けるべきであるということではなかったかと思う。数量的には捉えにくいとしても、例えば「笑顔を取り戻す」ということには重要な意味がある。




 中村氏はまた、「Evidence-based medicine」から「Narrative-based medicine」へというお話をされた。このこととに関連してフロアから、「エビデンスというのは、誰のためのエビデンスなのか? 理論検証のためのエビデンスが重要なのではない。当事者にとってのエビデンス、つまり、当人に対してある療法を実施することが正しかったのかを示すエビデンスは必要ではないか」といったような質問が出された(←文言は長谷川の記憶によるため不確か)。なおこの質問は、豊富な実践経験をお持ちのソーシャルワーカーの方らの質問であったようだ。

 この質問は、要するに、一口にエビデンスと言っても、外的妥当性(一般化可能性)に関わるエビデンスと、当事者個人に対する効果検証という意味でのエビデンスの2通りがあるということだろう。風邪薬を例にとれば、「この薬はすべての人に効くか」というエビデンスと、「この薬は、当事者にとって有効に働くか」というエビデンスがある。前者は薬の認可や製造販売にとって必要なエビデンスであるが、そうは言っても、最終的には、それを飲む人個人において有効に働かなければ何の意味もない。なおこの種の議論については、心理学研究における実験的方法の意義と限界(4)単一事例実験法をいかに活用するかという論文を書いたことがある。合わせてご参照いただければ幸いである。

 この件に関しては、他のパネリストからも、「独りよがりにならないためのエビデンス」、あるいは「勝手に自分の物語を作らないよう、独走を抑えるためのエビデンス」というのはやはり必要であろうというような指摘もあった。それぞれごもっともだとは思うが、忘れてならないのは、要素を取り出してきて効果検証を行うのことは、「エビデンス」と呼ばれている中のごく一部を示そうとしているにすぎないという点である。私自身は、長期的視点を持ちつつ、Rachlinの言う「目的論的行動主義」の視点で行動の相互の連関をさぐることがエビデンス獲得にとって最も有効ではないかと考えているが、このことについては近々論文にまとめる予定。


 次回に続く。