じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 「光る」岡大・本部棟と月齢18.5の月。
 昨日に続いて「光る」シリーズ。今回は朝日を浴びる岡大・本部棟の写真。この光景は、晴れていれば一年中見られるが、太陽の方位は異なる。本部棟の右上に写っている小さな円は、月齢18.5の月。月と、反射する太陽の光が同じ画面に入るのは、方位や時間帯のタイミングが重なった時だけに限られており、かなり希有な光景と言える。


01月16日(金)

【思ったこと】
_90116(金)[心理]「血液型性格判断」が廃れない本当の理由(4)他人の血液型をあてられる確率(1)

 少し前のYahooのニュースに「他人の血液型をあてられる確率は47%?」という「意識調査」結果が紹介されていた。今回はこの問題を取り上げてみたいと思う。この調査は、2008年12月3日〜2008年12月13日まで、ネット上の投票により行われた。投票総数は20799票。質問内容は
2008年の書籍の年間ベストセラー(トーハン調べ)の10位までに血液型本が4冊入っているそう。あなたは、他の人の性格からその人の血液型をどれぐらいの確率であてられる?
となっており、0%〜100%まで10%刻みの選択肢の中から1つを選ぶという方式になっていた模様である(投票実施時の画面はすでに削除されているので、あくまで、最終結果画面からの推測)。




 このことについて考察を行う前に、当該の「意識調査」に関して、3つほど留意すべき点を挙げておきたい。

 まず、当該画面でも「※統計に基づく世論調査ではありません。」と断っているように、この結果はランダムサンプリングによる世論調査とは異なる。あくまでネット上で投票に参加した人たちの内訳であり、参加者は、ネットにアクセスでき、かつ、そのような問題に関心を持った人に限られている。今回の調査に関しては不明であるが、この種の投票では、しばしば「組織票」や、(当該問題に対して)感情的に反応している人が、より多く参加する可能性もあることに留意しておく必要がある。

 第二に、ニュースの見出しでは、「他人の血液型をあてられる確率は47%?」となっていたが、結果の棒グラフを見ると、10%刻みの各選択肢の比率の分布は拡散しており、47%のあたりにピークがあるというわけでは必ずしもない。「回答者の圧倒的多数が47%であると答えた」というケースと、「回答者が選んだ選択肢は0%から100%まで多種多様であり、強引に平均をとったら47%になった」というケースでは、同じ「平均47%」という結果であっても解釈は全く異なってくる。今回の結果は、後者に相当するものであり、要するに、「投票参加者の間では、あたると思われる確率についての考えは多種多様、マチマチであった」と解釈するのが妥当であろうと思う。

 第三に、「他の人の性格からその人の血液型をあてられるか」という議論と、「血液型によって性格に違いがあるかどうか」という議論は、別物である。その理由としては、ベイズの定理として知られる条件つき確率の議論があることに加えて、

「他の人の性格からあてる」と言うが、そもそも、性格とは何か、そして、他の人の性格をどうやって知るのか?

という問題がある。

 性格をめぐる諸問題については、日本心理学会第72回大会の参加報告・感想の中でも取り上げたように、そもそも、心理学の中でも、特性論的理解への批判はもはや常識と言っても過言ではなく、他人をパッと見ただけで「あなたは○○という性格ですね」などと判断できるような「性格」が存在するかどうか、甚だ疑わしい。

 とすると、当該の調査で「他の人の性格」と呼ばれているのは、「性格」そのものではなく、むしろ、種々の行動傾向のうち、(気分や疲労といった短時間の変化を除いた)比較的永続的な特徴のことを意味しているものと推測される。しかし、行動傾向一般には、民族や文化や生活習慣の差、当人自身の語り(←「私って、○○という性格なのよ」といった表明)なども含まれており、それらと明確に区別することはできない。

 例えば、アンデスの山奥のホテルに10人の宿泊者がおり、そのうち5人は日本人、残りの5人は先住民族の子孫であったとする。この場合、日本人に対して「あなたはA型でしょう?」と言えば40%の確率で当たるし、先住民族の子孫に対して「あなたはO型でしょう?」と言えばたぶん90%以上の確率で当たるだろう(南米の先住民族は殆どがO型者であると言われている)。宿泊先での日本人と先住民族の子孫の行動傾向は著しく異なると思われるが、血液型が当てられたからといって、性格の違いを手がかりに血液型を当てた証拠にはならない。

 また、昨日の日記でも述べたが、血液型本をよく読むと、血液型本に書かれた「シナリオ」通りに演じる傾向が出てくる可能性がある。あるA型者が「私はおだてりゃ木に登るタイプなのよ」と表明し、それを聞いた第三者が「あなたはA型でしょう」と言えば、いちおう当たったことになるが、もしかしたら、そのA型者は「タブチさんが、A型はおだてりゃ木に登るタイプと言っていたけれど、私もきっと、うまくおだてられたら木に登ってしまうかもしれないわ」と表明していただけなのかもしれない。この場合、そのA型者は、「自分は、他者に比べて、おだてられる傾向が特に強い」ということを他者との客観評価により検証したわけではない。単に、著名人がA型者はこういう傾向があると言っていたことに納得していただけである。また、「あなたはA型でしょう」と言い当てた人も、同様の風説を判断の手がかりにしていただけかもしれない。要するに、あてられる人とあてた人が、共通の「合い言葉」を使っていただけという可能性がある。

 以上の3つほど留意点を挙げてみたが、これとは別のところでも、「当たりやすい」と錯覚させるような別の強化因が潜んでいるように私は思っている。

 時間が無くなったので、次回に続く。