じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 今年もまたセンター試験が始まった。この日の岡山市の最低気温は0.3度まで下がったが、日中の最高気温は11.0度まで上がり、この季節としては比較的暖かく、絶好の受験日和となった。


01月18日(日)

【ちょっと思ったこと】

安田講堂「落城」40年後

 1月17日の午前10:05〜午前11:25にNHK総合で

NHKアーカイブス特集 安田講堂落城〜“あの日”から40年 学生たちのその後〜

が放送された。番組紹介サイトにもあるように、1969年1月18日と19日、東大・安田講堂に立てこもった全共闘と機動隊の間で激しい攻防が繰り広げられた。あれから満40年となり、当時の学部学生はおおむね還暦を迎えたことになる。全共闘のリーダー格の学生はもう少し年配であり、すでに亡くなられた方もあった。かつて、ハンドマイクの前で険しい表情で絶叫演説をしていた闘士たちも、(少なくとも、番組に登場された方たちに限っては)みな穏和な表情でにこやかに口を開き、40年という歳月の流れを実感した。

 こうした番組は、スタイルとしては、お年寄りがかつての戦争体験を語る番組ともよく似ているようにも見えたが、少なくとも次の2点では、大きく異なっていた。

 1つは、戦争体験の場合は、戦地に送り込まれたり空襲に晒されたりすることを余儀なくされた中での生きざまであり、本人には選択の余地は全く与えられていなかった。東大紛争・闘争の場合は、全共闘運動に参加するか、あるいはその反対勢力を支持するか、ノンポリと呼ばれつつ学問研究に没頭するかという選択は、基本的には各自の自由であった。その分、回顧の中でも、自身の主体性が問われ続けていると言える。

 もう1つ、私個人の世代に関することになるが、戦争体験はあくまで私が生まれる前に終わった出来事、そのいっぽう、東大安田講堂事件は私が高校1年の冬に起こった事件であり、私のほうが数年ほど若すぎたとはいえ、私自身も同時代を生きていた人間の端くれになっていたという点が、戦争体験の語りを拝聴する場合とは大きく違っている。

 番組では、当時、 東大全学共闘会議副議長・安田講堂防衛隊長であった今井澄氏のその後が大きく取り上げられていた。今井氏は、3度目の復学、医師国家試験に合格後、茅野市の公立諏訪中央病院に赴任し、地域医療の改善に貢献した。番組では殆ど取り上げられていなかったが、ウィキペディアの当該項目によれば、1992年、日本社会党から参議院議員選挙・長野選挙区に立候補し当選。後に民主党に移り、1998年の参議院選挙では比例代表区から当選。参議院では決算委員長・厚生委員長を歴任。しかし、任期途中の2000年に胃癌を発症し、2002年9月1日にお亡くなりになったという。

 ちなみに、東大全共闘の議長であった山本義隆氏のことは、番組では殆ど取り上げられずどうしておられるのかと思ったが、ウィキペディアの当該項目では「全共闘に関するマスコミ取材は一切受けていない」と記されていた。もっとも、今井氏の葬儀に際して、「普通の人の三倍の人生を生きた」と弔辞を述べられた映像が公開され、また、ウィキペディアの当該項目には、最近の御著書や受賞歴が紹介されており、その後のご様子をうかがい知ることができた。

 このほかに印象に残ったのは、日大全共闘議長であった秋田明大氏のその後である。現在は郷里の広島県呉市で、20歳年下の中国人妻と再婚し5歳の息子さんと3人暮らしをしておられるということであったが、昔の面影は残って居らず、どこにでもありそうな自動車修理工場の経営者という感じであった。

 もとの話題に戻るが、当時の学生運動というと過激派のセクト争いの印象が強く残ってしまっているが、番組を拝見していると、その原点はイデオロギーとは別のところにあり、大学の中で生じた問題に学生自身が真摯に向き合い主体性を問い直すというところから始まったという側面が強く感じられた。もっとも、その後の四分五裂の段階では、それぞれのセクトのイデオロギーが強く反映し、勢力争いに翻弄されたという点は否めない。

 余談だが、ネットを検索していて気づいたのだが、今井澄氏が参議院議員であった頃には、同じ民主党参議院議員には、小宮山洋子氏もおられたはずである。小宮山氏の実父は、言わずと知れた、安田講堂事件当時の東大総長代行、加藤一郎氏であった。つまり、当時の安田講堂防衛隊長と、その時に退去命令を出した総長代行の実娘が、同じ政党の議員団に所属していた時期があったということだ。念のため「小宮山洋子 今井澄」というキーワードでざっと検索してみたところ、小宮山洋子ひまわりギャラリーの2004年版に「10月1日 今井 澄 さんを偲ぶ会」という写真が掲載されていることが分かったが、安田講堂事件のことについての言及は特に無かった。

 もう1つ余談だが、参議院と言えば、いまの参議院議長は江田五月氏である。ウィキペディアの当該項目によれば、江田氏は、東大教養学部自治会委員長時代に大学管理制度改革に反発し他の学部とともに全学ストを実行、責任を取る形で退学処分となった。その1年後、学生運動と絶縁し、東大に復学。一転学業に精を出し、在学中の1965年に司法試験に一発合格(10番の席次)したことで知られている。

 こうしていろいろと検索してみると、ちょうど、幕末期の人物が時代の荒波の中でそれぞれに与えられた役割を精一杯演じていたように(←昨年の大河ドラマのテーマであった「役割」みたいに)、当時の大学生たちも、さまざまな経緯の中で与えられた役割をしっかりと演じきった。そしてさらにその後の時代変化の中でも、ちょうど、篤姫、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らがそれぞれの道を歩んだように、多種多様な役割を演じつつ、40年が経過した今を迎えている、といってよいだろう。