じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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昨日に続き、早朝の月の写真。今回は月齢26.4の月。月の赤緯はほぼ最南。また午前09時10分に最遠。なお、この月が新月になる1月26日の夕刻には、インドネシア〜インド洋南部で金環日食が見られる。 |
【思ったこと】 _90123(金)[一般]円独歩高からお金とは何かを考える(2) 昨日取り上げた「お金とは何か?」についてもう少し考えてみたいと思う。なお、私は経済に関しては全くの素人である。この連載で述べることはすべて、私の直観と独断に基づく独り言にすぎないことを、念のためお断りしておく。 昨日も述べたが、私は、お金というのは
あと、学問や芸術も、それらに代価が支払われる限りにおいては、商品と同じ扱いを受ける。実用的価値が見出しにくい基礎的な学問や、100年後になって初めて評価されるような芸術作品もあるが、それらは国家や、何らかの支援者によってサポートを受けている。中には極貧に耐えながら芸術作品を造り続けているという方もおられるとは思うが。 ところで、お金には、預金残高のように、数字として「資産」価値が「確定」確定しているものと、その時々の需給関係で評価額が変わっていくものとがある。普通預金残高100万円の通帳を持っている人は、特殊な状況が発生しない限りは、100万円(プラス利息)という「資産」を保持し続けることができる。もっとも、次回以降で述べる予定であるが、これは数字が一定であるというだけで、価値そのものが将来まで保証されているわけでは全くない。 いっぽう、同質の宝石100個を持っている人がいたとする。そのうちの1個が1万円で売れる状態にある時は、その人の「資産」価値は100万円として評価される。しかし、その宝石100個すべてを売ろうとした時には、需給関係が変化し、1個の価値が1000円、総額は評価額の10分の1の10万円になってしまう恐れもある。かつてのバブル崩壊とか、昨今の世界金融危機なども同様である。「株価暴落で世界の富豪が何百億ドルもの損失を出した」などというニュースを聞くと、その何百億ドル分は誰が持ち逃げしたのだろうと思ってしまうが、世界中のどこを探しても何百億ドルの紙幣が見つかることはない。もともと評価額などというのは、絵に描いた餅のようなものである。それに踊らされて、ネズミ講紛いのマネーゲームが横行し、破綻を繰り返しているに過ぎない。 次回に続く。 |