じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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大学構内・座主川沿いの苔。2月6日の日記に「苔と時計台」の写真を掲載したところでもあるが、2月は苔の鮮やかな緑がひきたつ季節である。その原因として考えられるのは、
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【思ったこと】 _90220(金)[一般]危ない橋を先に渡る/人のいない経済学 2月17日から、朝日新聞で浜矩子(はま・のりこ)・同志社大学大学院教授の連載が始まっている。老眼ということもあってふだん新聞は殆ど読まない私であるが、この連載はなかなか面白い。私自身、素人なりに、円独歩高からお金とは何かを考えるなどと生意気なことを書いたばかりであったが、今回の連載はその時に記した素朴な疑問のいくつかにも解明のヒントを与えてくれている。 ちなみに、浜氏は国際経済・金融がご専門で、30年以上前から膨張する米国経済に警鐘を鳴らしており、今回の混乱を早くから見抜いていたお一人であるという。 浜氏の連載では毎回、複雑で難解な経済現象が、少々皮肉っぽい、分かりやすいフレーズに置き換えられている。例えば
...危ない橋を渡らないとメシが食えない。だから「この橋は危なくないよ」と言いながら、誰よりも早く渡ろうとしたのです。というくだりである。この「危ない橋を先に渡る」という論理は、住宅ローン債権の証券化ばかりでなく、暗躍する投資ファンド、円キャリートレード、外貨証拠金取引(FX)、商品先物、不動産投資など、あらゆる儲け話に共通する特徴ではないかと思う。 要するに、橋を渡る人全員の安全のことを考えるのではなく、自分だけ助かればよいという論理に立てば、世の中には儲け話はゴロゴロしているということなのだろう。為替レートが永久不変であるなら、金利の高い外貨預金のほうが資産を増やせるのは当たり前となる。しかしみんなが円を外貨に替えていれば、いずれ、再びそれを円に戻す時には急激な円高となり、結果的に利息分では補えない為替差損を被る。「危ない橋を先に渡る」というのは、そういう中にあっても、タイミングを見計らって、真っ先に橋を渡りきってしまえばそれでよいという考え方であり、確かにそうるれば大儲けできるに違いない。今回の「グローバル恐慌」でも、おそらく、危ない橋を先に渡って安穏とした暮らしを続けている人が何人か居るはずだ。 連載の4回目(2/20掲載)には、 【経済学は】アダム・スミスやカール・マルクスのように、人の欲望や、それによって起こる人の行動を語る学問ではなくなった。経済学から人がいなくなくなってしまったんです。さらに、 典型的なのが金融工学です。言葉自体にゆがみを感じます。金融とは人が人を信用する営みです。それがエンジニアリングの対象になってしまった。金融と工学なんて水と油ですよ。という示唆に富むご発言があった。ちなみに1997年のノーベル経済学賞受賞者はデリバティブ(金融派生商品)の価格算定式を完成させた2人であったという。とにかく、人の居ない経済学がマネーゲームの攻略本みたいなものを発展させ、そのことが実体経済にまで大混乱を引き起こしたという印象はぬぐいきれない。 こうしてみると、経済学という学問は本当に世の中を幸せにするための学問であったのか、それとも、「危ない橋を先に渡る」テクニックを伝授する学問に成り下がってしまったのか、改めて考え直してみる必要があるかもしれない。もっとも、これは殆どすべての科学に当てはまることでもあり、純粋な学問研究が結果的に核兵器の開発に寄与し、最後には人類の滅亡をもたらすという恐れだってあり、経済学のある分野だけを悪者にするわけにはいかないとは思うが。 |