じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2月24日夜は恒例の予餞会(卒業生を送り出す会)が行われた。写真は会場となったホテルのロビーから見渡す「桃太郎スタジアム」(岡山県総合グラウンド・陸上競技場)。公式サイトによれば、この競技場は第1種公認陸上競技場であり、
  • 収容人員はメインスタンド約8,200人、バックスタンド約7,400人
  • トラックは400m×9レーン(全天候舗装)
  • フィールドは106m×72m(天然芝)
などとなっている。


02月25日(水)

【ちょっと思ったこと】

25年前と比べて日本はどう変わったか

 昨日の日記に
23日の東京市場では東証株価指数(TOPIX)は735.28となり、1983年12月以来、25年2カ月ぶりの低い水準をつけている。日経平均株価のほうも24日には昨年来安値(7162円90銭)を下回るのではないかという予想が出ている。
と書いたところであったが、ほぼ、予想通り、2月24日午前には一時、前日比221円安の7155円16銭と、昨年10月27日に付けた終値でのバブル崩壊後最安値(7162円90銭)を下回った。終値は107円60銭安の7268円55銭、TOPIXは5.00マイナスの730.28となっている。

 ちなみに、昨年10月27日時点の外国為替市場は1ドル=92円95〜98銭、1ユーロは115円65〜69銭であったのに対して、今回はここ数日で円独歩安傾向となり、2月25日06時04分現在では、1ドル96円80〜 96円82銭、1ユーロは、124円37〜124円40銭、1ポンド140円20〜140円3銭などとなっている。円安は輸出企業にとっては大助かりかもしれないが、日本国内の諸物価が値上がりしていく可能性もあり要注意である。




 いずれにせよ、今の株価水準が25〜26年前の1983年当時に戻っていることは確かである。その時に比べて日本や世界はどう変わったのだろうか。昨日の予餞会(卒論生を送り出す会)の挨拶の時にもそんな話題を取り上げてみた。

 さて、1983年頃がどういう時代であったかと言われても、記憶はなかなか蘇らない。いちばん身近なツールであったパソコンのことから思い出してみるに、ちょうど1983年10月にはNECのPC-9801Fという機種が発売され、「国民機」の座に君臨する第一歩を踏み出していた時期であった。

 ちなみにこのPC-9801FはCPUが8MHz、5インチ2DDドライブ内蔵、デジタルRGB8色1画面などとなっていた。私がじぶんの研究費で買ったのはもう少し後の9801-VM2以降の機種であったが、当時の価格は確か30万円台、プリンターが20万円台などとなっていて、パソコン1セットを買うだけで科研費の大半を使い果たしてしまうほどであった。

 株価が25〜26年前に戻ったと言っても、このあたりの製品に関しては、格段の機能向上と低価格化が進んでいることは一目瞭然である。現に私が使っているデスクトップパソコンは、CPUが3.19GHzであるが、価格は5万円台のアウトレット品であった。

 以上に述べたパソコンに限らず、電機製品一般は全般に高性能化、低価格化、省エネルギー化が進んでいるといってよいだろう。




 このほかの面では世の中はどう変わったか。予餞会の挨拶でも述べたが、禁煙化・分煙化への配慮が徹底するようになったのはまことに喜ばしい。もっとも、今回も、会場の各テーブルには当初灰皿が置かれており、同僚の教員の要請で撤去されていた。ホテル側としてはいまだに「宴会の席にはデフォルトで灰皿設置」というマニュアルがあるのだろうか。それと未だに、すぐ近くに非喫煙者が居ても灰皿さえあれば自由にタバコが吸えると思っている学生が居るというのはまことに残念であった。

 予餞会の挨拶でも述べたが、1983年頃というのはバブル景気より前の時代であり、当時は「財テク」という言葉がはやり始めていた。じっさい、あの頃は、何に投資しても儲かる時代であった。3万8915円(終値)の最高値をつけた1989年12月29日頃までに売り抜けていた人は相当の資産を形成していたはずである。バブル崩壊後はもはや同じ過ちは繰り返さない、マネーゲームに手を出すことはあるまいと思っていたが、今度は別の形の金融危機が訪れた。人間に欲がある限りは、これから先も10年、20年単位でこういう波を繰り返すのかもしれない。