じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  雲の切れ目から射し込む夕日で浮き上がる異次元空間

 4月14日の岡山は早朝から断続的に雨が降り、13ミリの降水量を記録したが、帰宅した18時20分分頃、ほんの一瞬、雲の切れ目から夕日が射し込み、中心部の高層ビル群のみが浮き立つような自然の「ライトアップ」現象が見られた。

 写真は上から岡山市中心部(2枚)、京山(閉園)の観覧車と展望台、4番目は操山方面(手前は桃太郎スタジアムだが、そこにある照明設備で照らされているわけではない)。一番下は、2分後に西空に見えた「光る雲」。


4月14日(火)

【思ったこと】
_90414(火)[心理]ヤノマミの番組で、人生最大レベルのカルチャーショックを受ける(1)

 4月12日(日)の夜、寝る前に、録画予約をするためにたまたまテレビのスイッチをつけたところ、

NHKスペシャル ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる

という番組が放送されていた。私が見始めた時はすでに放送時間が半分くらい過ぎていた。番組のタイトルだけからはおそらく、未開地域の風変わりな生活ぶりを紹介する程度の内容であろうと思って、別番組の録画予約を完了したあとでスイッチを切ろうとしたところ、小さな子どもがサルの(←たぶん)頭蓋骨にくっついた肉をしゃぶっているシーンが出てきた。そのあとで今度は、14歳の少女が、自分にしがみついている子ザル(←その子ザルの母親はヤノマミに食われてしまった)の口をこじあけて自分の唾液を流し込むシーン、さらに、その少女が後日妊娠し出産、産まれた赤ちゃんを「精霊として天に返す」という最も衝撃的なシーンが続いた。番組が終わってからはしばらくは茫然自失、私自身の中でも、最も衝撃を受けた番組の1つと言ってもよいほどであった。

 12日の夜は途中から視ただけであったが、幸いなことに、 4月15日(水)の午前0時45分〜1時44分 (14日深夜) に再放送があると知り、録画予約を入れた。このWeb日記を書く前に一通り視たが、番組の冒頭から衝撃的なシーンが始まっていた。民放では、世界各地の奇習を興味半分に伝えるだけの番組が多いように思うが、これは明らかに違う。文化とは何か、価値観とは何か、善悪とは何か、道徳とは何か、....といったことを根底から覆す最高傑作である。NHK、よくぞ放送してくれた!と、まずは拍手を送りたい(
ウィキペディアの当該項目によれば、この番組は、
NHKは、ブラジル当局と10年にわたる交渉の末取材を許可され、2008年、150日(およそ5か月)の間ブラジル側のヤノマミ族居住地に滞在し、彼らのありのままの姿を撮影。まず衛星放送で、次いで総合テレビで放送した。「ヤノマミ族の今の実態をありのままに映し出し、伝える」という方針から、通常の日本国内における放送基準ではグロテスクで放送できないとされる映像についても出来る限り残して編集された。
ということであった。


 これだけ衝撃的な内容であったので、翌日の4月13日あたりからネットでもいろいろな反響が起こり、特に精霊として天に返すことの是非をめぐって大論争が起こるのではないかと思ったが、Googlede「ヤノマミ」というキーワードで検索した限りでは、4月15日07時現在で16000件とそれほど多くはない。私も当初そうであったように、たぶん、「奥アマゾン 原初の森に生きる」というタイトルだけでチャンネルを合わせたり、録画予約するという人はそれほど多くなかっただろう。

 もっとも、4月13日のYahooの急上昇ワードランキングでは2914点で第8位にランクされていた。今後、関連サイトへのアクセスがますます増えるものと思われる。




 番組の具体的な内容についての感想は、録画した内容を通して視ただけであり、まだまとまっていないが(というか、未だに茫然自失状態)、一般論として次のことは言えると思う。

 まず、我々が正しいとか間違っているとか思っていることの多くは、必ずしも絶対的に真ではない。あくまで相対的であり、長年にわたる環境との関わりの中で、最も適応的になるように淘汰され、その上で、社会的に構築されていったものにすぎないということだ。

 今の日本では、産まれた赤ちゃんを生きたまま(←ヤノマミの考え方では、胎盤を切り離して赤ちゃんを抱き上げた直後からが人間として扱われるのであって、「生きたまま」というのは適切な表現ではないかもしれない)バナナに包んでバナナの皮につつんでシロアリの巣に置けば、間違いなく「不作為の殺人罪」として、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処せられるであろう。しかし、番組で紹介されたヤノマミの村では、毎年約20人の子どもが産まれ、そのうちに半数以上は「精霊として天に返される」のである。そのことによって、人口が増加せず、自然との共生の中での循環型の生活が維持されていくのである。

 また、この村では14歳で妊娠することは決して珍しいことではない。番組では、16歳と11歳で結婚した夫婦も紹介されていた。日本ではありえないことだが、この村の平均寿命はおそらく40〜50歳であることを考えれば、出産可能な歳に結婚するというのはごく自然のことであろうと思う。そう言えば、番組の中では、最近は政府の僻地医療が行われるようになり、結果的に村の人口は倍近くになったという。赤ちゃんを精霊として送る比率が昔より増えていたとしたら、これは「文明」がもたらしたせいかもしれない。

 このほか、野生の動物を解体したり、冒頭にも述べた、子どもがサルの頭蓋骨についた肉をしゃぶるというようなシーンはグロテスクで凄惨なように見えてしまうが、これも現代日本人の生活に慣らされたためである。我々がふだん、おいしいおいしいといって食べている牛肉や豚肉もみな、殺されて肉になったものである。捕鯨の是非も同様。




 冒頭のほうで、文化や、価値観や、善悪や、道徳はあくまで相対的なものであり、自然への適応を大前提として社会的に構築されたものであるという私の考えを述べたところであるが、これは、裏を返せば、郷に入れば郷に従えということであり、現代日本に住む日本人が日本国内でヤノマミの善悪基準を押し通そうとしても決して認められないし、当然処罰されるということだ。

 あと、番組では「天」とか「精霊」といった言葉が出てきたが、それらはあくまで訳語である。少なくとも日本人や西洋人が頭に描く「天」や「精霊」とは異質である。単に似ている概念をあてはめただけと解釈するべきであろう。