じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 自転車置き場の近くで、巣から落ちたスズメの雛を見つけた。すぐ近くの講義棟では、換気口?のパイプの中に雀が巣を作ることがあり、そこから落ちたものと思われる。

 ネットで検索したところこちらの知恵袋に、「それは「巣から落ちた」のではなく、巣立ちビナだと思います。...一見すると、本当に幼くて飛べないので、巣から落ちたように見えますが巣立っただけで、ちゃんと親が面倒を見ています。」というベストアンサーが掲載されていた。「巣から落ちた」と書いたが、巣立ちビナであるかもしれない。ネコやカラスに襲われる危険はあるがそれも運命。写真を数枚撮っただけでその場を離れた。



6月15日(月)

【思ったこと】
_90615(月)[心理]ゴミの不法投棄はなぜ起こるか(7)低炭素社会ではなく循環型社会が基本

 昨日も述べたように、環境問題においては、
  1. いつの時代、どの地域においてもゼッタイに悪いこと
  2. 現在の地球環境のもとでは望ましくないこと
  3. 科学技術の水準に依存して善悪の基準が変化する可能性のあること
を分けて考える必要があると思う。

 最近ではもっぱら炭酸ガスの排出ばかりが問題視されている。確かに、地球温暖化は、海面上昇、砂漠化、氷河や北極の氷の縮小など、一刻も早く対処しなければ取り返しがつかなくなるような重大問題であるとは思うが、環境問題の本質ではないし、循環型社会の実現の本流であるとも思えない。昨日も述べたが、地球温暖化問題自体は、太陽活動が低水準になればあっさり解決してしまう問題であるかもしれない。しかしだからといって、循環型社会の構築が不要になるというわけではない。手段を選ばすに低炭素社会を実現するのではなく、あくまで循環型社会を実現し結果としてそれが低炭素社会をもたらす、という発想をするべきではないだろうか。

 ここで、この連載の本題である「不法投棄」に話を戻すが、私が子どもの頃は、そもそも、ゴミの分別とか、曜日別のごみ収集というような問題は起こっていなかった。こちらのアルバムの1953年3月の写真にもあるように、燃える物は風呂の燃料に、生ゴミは穴を掘って埋めて、果樹の肥料にしていた(但し、生ゴミを河川に投げ捨てるケースも多く、近くの小さな川は魚が住めるような状態ではなく悪臭を放っていた)。

 このWeb日記でも何度か書いたことがあるが、本来、生ゴミのようなものは「燃えるゴミ」ではなく、畑の肥やしとして活用するべきである。生ゴミは一切収集しないこととして、その代わりに公共花壇や、レンタルの家庭菜園をいっぱい作り、花や野菜の栽培を楽しみながら生ゴミ排出の低減をはかるべきだと思う。もちろん、土の浅いところにゴミを埋めたのではハエが発生して衛生上好ましくない状況となるので、きちんとした生ごみ堆肥化容器を設置し、堆肥化した上で埋めていくことのほうが望ましい。


 次回に続く。