じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2009年版・岡山大学構内でお花見(58)変わり咲きネジバナ

大学構内で見つけたネジバナの変わり咲き。というか、もともとネジバナの花の形は多様であって1つたりとも同じ形をしていないと考えるべきであろう。
  • 写真A〜C:時計台前の薄いピンクや白のネジバナ。このあたりは白っぽい花が多いが、除草剤散布の影響も考えられる。
  • 写真D:花穂ばかりでなく、2本の花茎自体がねじれて絡み合っている。
  • 写真E〜F:ねじれの向きが正反対になっているペア。

 なお、10年前に撮影した「変わり咲き」コレクションがこちらに残っています。



6月24日(水)

【思ったこと】
_90624(水)[一般]生誕百年 太宰治はなぜうける?」(1)

 6月22日に放送され、HDDに録画してあった

NHKクローズアップ現代「生誕百年 太宰治はなぜうける?

を視た。

 生誕100年、世を去って60年以上も経つ太宰治の作品が再びブームとなっており、前年(一昨年?)と比較した昨年の出版部数は、『人間失格』が5倍、『走れメロス』が7倍に急増しているという。また、『人間失格』をテーマに選んだ読書感想文の数は、世相を反映する傾向があるらしく、現在は、平成元年頃以来、再びピークを迎えているということであった。

 ではなぜ、「太宰はうける」のか? 番組では、何名かの方から
  1. 若者が書くブログとの文体の類似性
  2. 世相の反映
  3. 作品の主人公はボロボロであっても、読者を勇気づける表現がある
  4. 日本語自体が持つ魅力を保持しつつ、分析力と経済性を備えた近代散文の長所を取り込んだ表現(あたかも目の前で言っているような印象を与えてくれる)。
といった説明がなされていた。

 このうち、2.〜4.についてはほぼ納得できたが、1.の「若者が書くブログとの文体の類似性」というのは、番組を視た限りではコジツケであるような印象を受けた。

 1.に関しては、『斜陽』の中の、
私は小さい時から、朝ごはんがおいしくなく、十時頃にならなければ、おなかがすかないので、その時も、スウプだけはどうやらすましたけれども、食べるのがたいぎで、...
という、句点の無い、異様に長い文が、女子大生のブログに似ているというような指摘があったが、内容の類似性は認めるにしても、太宰の文体はむしろ、1つの文が短いことに特徴があるように思う。ま、読点が多いことは間違いないが。

 それと、百歩譲って、女子大生のブログと文体が似ていたとしても、自分の書く文章と文体が一致しているかどうかは、必ずしも作品の魅力にはならないと思う。自分には書けないような優れた文体であればこそ読みたいと思うことだってあるはずだ。




 番組ではまた、中学校の総合学習の時間で、『人間失格』と、秋葉原殺傷事件の加藤被告がネットに書き込んでいた文の類似性と相違性を学ぶ場面が紹介されていた。1つ1つの文をカードに記して分類してみると、両者にはよく似た表現が多いが、太宰の作品のほうには読者をフォローする優しさがあるというのが、講師の先生の結論であった。

 もっとも、これにも少々異論が無いわけではない。太宰のほうは、もともと、人に読まれることを前提にして書かれた作品である。加藤被告の件については詳しいことは分からないが、ネット上の独り言に過ぎず、事件がなければ誰にも読まれなくても当然。加藤被告自身は「ネットで無視された」と思い込んでいるかもしれないが、私からみれば、そもそも、ネットなどというのは、共感や理解を求めたりするような場ではない。たまたま注目されたブログだけが読まれているに過ぎないのである。

 次回に続く。