じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _90625(木)[一般]生誕百年 太宰治はなぜうける?」(2) 6月22日に放送され、HDDに録画してあった、 NHKクローズアップ現代「生誕百年 太宰治はなぜうける?」 の感想の続き。 番組では、「太宰はうける」のか?について、何名かの大学研究者から、また、スタジオでは井上ひさし氏から、わかりやすいコメントがあった。それらのコメントはおおむね納得できる内容であったが、「なぜうける?」のかという説明として妥当なものであるかどうかについては、もう少しツッコミを入れてみる必要があるように思った。 例えば、読書感想文のテーマとして『人間失格』を選ぶ高校生が増えたのはなぜかという問題と、太宰の作品が生誕100年、世を去って60年以上も経ってなぜ読み継がれているのかという問題は、とりあえず分けて考えたほうがよいのではないかと思う。 前者の場合、高校生は、何十冊もの異なる小説を読み比べた上で最終的に『人間失格』を選んだわけではあるいまい。いや、中にはそういう読書家もおられるだろうが、たいがいは、まず書名に惹かれ、その本の評判を聞いたり、友人たちと相談したり、最初の数ページの読みやすさに惹かれて感想を書こうという気になったのではないかと推察される。 いっぽう、後者の問題は、昨日挙げた、
ところで、ひとくちに太宰の作品といっても『人間失格』と『走れメロス』では内容も、読者に与える印象もまるっきり異なっている。これらを同列視してブームの原因を探っても、得られるところは少ないのではないかという気がする。 ちなみに、青空文庫から閲覧できる223作品(2009年6月26日現在)の中で、私が好きなものは、 などの短編に限られている。『お伽草紙』の中では『浦島さん』が特に私の好みである。未読の方にはぜひオススメしたい。なお、私が初めて太宰の作品に接したのは、『佐渡』であった。これは確か、私が受験した中学の、前年度の国語入試問題であったと記憶している。『走れメロス』のほうが先であったかもしれないが、メロスのほうはどこかで聞いたような話であって、未だに、太宰の代表作品であるようには思えない。 |