じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 6月26日の21時頃に撮影した月例3.7の月。陰暦では5月4日の月にあたるため、「三日月」ではなく「四日月」になる。今回の月は、太陽との位置関係で希有なコースをたどる。このあと7月7日に満月となり、7月22日には新月、その時が待ちに待った?皆既日食である。なお、皆既日食の直前の満月(7月7日)と直後の満月(8月6日)はいずれも半影月食が起こるが日本では見られない(←というか、半影月食は肉眼ではほとんど見分けがつかない)。



6月26日(金)

【思ったこと】
_90626(金)[一般]生誕百年 太宰治はなぜうける?」(3)

 昨日の日記で、青空文庫から閲覧できる太宰の223作品(2009年6月26日現在)の中で、私が好きなものは、 などの短編に限られていると書いた。高校生の頃は太宰の作品をたくさん読んだように思っていたが、作品リストを照合してみるとじつは殆ど読んでいないことが分かる。というか、私はもともと、小説嫌いな人間であり、誰の作品であれ、何かのきっかけが無い限りは本を読むことすらない。

 私が小説を殆ど読まないのは、人間関係というものに殆ど興味がないことに起因しているのではないかと思う。今回の番組で『人間失格』の中の
自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
というくだりがたまたま紹介された時、一緒に視ていた妻が、「ほら、あなたとそっくりじゃない!」とつぶやいたが、実際その通りであり、私は、隣人に限らず、会話というものに殆ど興味が持てない。但し、太宰が「...そこで考え出したのは、道化でした。/ それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。」と続けたのと違い、私が選んだのは、できる限り、人との接触を少なくし、会話の少ない空間に身を置こうという道であった。植物や(人間以外の)動物たちとのふれあいに興味をいだくのも、人との接触を避けようとすることの反動であるかもしれない。

 このことでふと気づいたが、太宰の作品では、対植物、対動物の描写はきわめて少ないように思われる。『富嶽百景』なども、タイトルだけから言えば風景描写のように見えるが、大部分は、人との触れあいの描写である。『佐渡』も紀行文のようだが、自然風景の描写はきわめて少ない。翌朝、相川行のバスに乗った時の風景描写などは
きょうは秋晴れである。窓外の風景は、新潟地方と少しも変りは無かった。植物の緑は、淡(あわ)い。山が低い。樹木は小さく、ひねくれている。
と、まことに素っ気ない。たぶん、太宰は、大自然の中で一人きりで生きることができない人間だったのだろう。

 少し前の人間・植物関係学会で種田 山頭火のことが取り上げられたが、2007年6月12日の日記にも記した通り、山頭火は、俳句や日誌という創造の世界、句友や妻子、行乞放浪と定住、自然との一体化、酒などに救いを求めた。特に自然との一体化と癒しは、種々の作品の中に表れている。

 人間は好むと好まざるとに関わらず、関係性の中で生きていくほかはない。しかしそのウェイトを、対人関係の中に置くか、自然環境の中に置くかは人によって異なる。対人関係の中に身を置くことにはそれなりの楽しみがあるだろうが、常に他者を気遣い、また、他者との関係を良好に保つためにいろいろな努力をしなければならない。それに加えて、他者との関係は、相手方の事故や病気で激変してしまうこともある。そういう不安定さ、煩わしさを避けようとすると、比較的安定していて、仮に変化しても、全体としても1つの循環、輪廻の形をとっていくような大自然との関わりを重視しようと志向するようになる。私自身は、少なくとも老後においては、そういう道をたどりたいと思っている。