じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



10月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 5月29日の楽天版にオリーブの花の写真を掲載した。オリーブは、ウィキペディアに記されているように、「多くの品種では自家受粉できない。DNAが同一の花粉には反応せず実をつけないことが多い。」。大学構内にあるオリーブはたぶん単一品種のため実はならないと思っていたが、今回、4〜5粒だけ実をつけていることが分かった。あるいは別の場所から花粉が飛んできたのかもしれない。


10月5日(月)

【思ったこと】
_91005(月)[心理]「○○はなぜ××なのか」を考える(2)

 昨日の続き。

 この連載では、
  • 「○○はなぜ××なのか」という疑問はどういう場合に生じるか?
  • 「○○はなぜ××なのか」という疑問は、どういう答えによって解消するか?
を中心に考えてみたいと思う。

 上記の指針は、『出版ダイジェスト』(8月21日号)に冗談っぽく書かれてあった、

誰か、『「○○はなぜ××なのか」というタイトルの本はなぜ書かれ続けるのか』というタイトルの本を書けばいいのに。

という出版に関する疑問の解答には必ずしもならないことをあらかじめおことわりしておく。

 『「○○はなぜ××なのか」というタイトルの本はなぜ書かれ続けるのか』という問いは、「○○はなぜ××なのか」という素朴な疑問とは異なり、複合的な要因が絡んでいるように思われる。まず、いかにすぐれた本であっても宣伝が行き届かなければ売れる本にはならない。その場合、著者の知名度、本の構成、文体、内容の分かりやすさ、面白さなども影響してくる。また、ある程度のベストセラーになれば、「○○はなぜ××なのか」には関心が無かった人でも、周囲の人たちの話題についていくために買い求めるケースがあるかもしれない。ということで、本の売れ行きについては、ここでは正確な答えを用意することができない。




 さて、元の「○○はなぜ××なのか」の話題に戻るが、この種の疑問が成立するためには、
  • その現象が起こっていること(または歴史的事実となっていること)
  • 素朴に考えると「そんなはずがない」、あるいは自己体験に照らして意外なできごとであること
の2点がポイントになるのではないかと思われる。

 これにはさらにいろいろなケースがある。
  1. 多少の例外はあるが、ほとんどすべての人(あるいは日本人、若者、特定集団...)にあてはまる傾向。例えば、『人はなぜ謝れないのか』、『人はなぜ形のないものを買うのか』、『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』、『人はなぜ7年で飽きるのか』など
  2. かならずしも頻繁とは言えないが、そんなことは起こるはずがないのに起こるような現象。例えば『なぜクジラは座礁するのか』、『なぜ、夫は愛する妻をなぐるのか』など。
  3. 何か新しい意見を述べる場合の問題提起として。例えば、『なぜ悪人を殺してはいけないのか』、『なぜ人間に倫理が必要なのか』など。
  4. その他、雑学的な好奇心を満たすもの。例えば、『カラスはなぜ東京が好きなのか』、『ボクシングはなぜ合法化されたのか』、『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』など。
 なお、以上はあくまで本のタイトルだけから判断して勝手に分類したものである。その本の中味が本当にそういうタイプの疑問に答えているかどうかは全く確認していないことをお断りしておく。




 いずれにせよ、「○○はなぜ××なのか」という問いを発するには、その前提として、

○○は××である

という事実をしっかりと検証しておく必要がある。

 特に、ある集団の全体的な傾向を議論する場合には、十分な証拠が必要である。例えば、「日本人はなぜ集団主義的か」という議論をするためには、まず事実として日本人が集団主義的であることを証明しなければならない。しかしこれは厄介なことであり、じっさいこちらにも記したようにさまざまな反論も提起されている。

 いっぽう、「人はなぜブランド志向なのか」というように、一部の人に見られる傾向に特定して分析を進める場合は、ブランド志向が多数派であるかどうかといった証拠は必ずしも必要ない。上述の『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』の場合でも、論を展開するにあたって、すべての外国人力士が日本語能力1級レベルであるという証拠は必ずしも必要ない。




 このほか、これは本のタイトルにはなりにくいが、『自分はなぜ不幸なのか』といった個人的境遇に関する疑問もある。この場合は、なぜ不幸なのかを分かりやすく説明するよりは、「いや、あなたはじつは不幸ではない」という納得を与えることのほうが、読者には満足感を与えるであろう。上述の「日本人はなぜ集団主義的か」の場合も、集団主義的である理由やプロセスを解説するという形の答えの出し方もあるが、「いや、じつは集団主義的でない」と納得させることでも、疑問の解消を図ることができる。

 不定期ながら、次回に続く。