じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2009年版・岡山大学構内でお花見(76)金木犀と銀木犀

 金木犀と銀木犀が並んで咲いているところ(岡大・東西通りで撮影)。なお、ギンモクセイの葉っぱをよく見ると、同じ枝から出ている葉っぱの中に、ふちがなめらかな葉っぱ(全縁)のほかに、ヒイラギの葉っぱに似たギザギザ(鋸歯)が混じっていることが分かる。葉っぱの特徴だけから言えば、ウスギモクセイ(薄黄木犀)の可能性もあるが、ウスギモクセイの場合は花の色が淡い黄色になるということなので、これとは異なるようだ。また、文法経講義棟の南側にあるヒイラギモクセイは、ほぼすべての葉っぱがギザギザになっているのでこれとも違う。やはりギンモクセイか。



10月19日(月)

【ちょっと思ったこと】

剱岳測量物語

 土日に放送された番組の中でもう1つ、

●日本の名峰「剱岳測量物語〜明治40年“点の記”〜」

というのがあった。剱岳の測量隊の話と言えば、先月、成田〜サンフランシスコの機上で、

劒岳 点の記

という映画を観たばかりであった。機内の液晶画面が小さかったことと睡眠不足であったため、ストーリーの細かいところは忘れてしまったが、山岳信仰から剱岳を畏怖する地元住民の反発や、日本山岳会との登頂争いなどが盛り込まれていたように記憶している。しかし、今回の番組を視る限りでは、当時の測量隊にとって、剱岳登頂は必ずしも最終目的というわけではなく、この近辺の山々を含めて、いかにして重さ63kgもある柱石や、櫓を立てて測量をする時に必要な丸太を担ぎ上げるか、ということに本当の苦労があったように思われた。

 番組では、剱岳周辺の山の上まで、当時と同じ重さの柱石や丸太を担ぎ上げるという再現シーンがあった。今のような登山装備の無い時代に、あれだけのものを担ぎ上げるというのは大変な苦労であったことが偲ばれる。剱岳登頂自体よりも、道なき道を登りつめて、周辺の中山や黒部別山の倉の助(一)に三角点を設置し、測量のための三角網を完成させることのほうに意義があったのかもしれない(国土地理院 地図閲覧サービス2万5千分1地形図参照)。

 もっとも、カニのヨコ這い・タテ這いルートで、設置されている鎖をあえて使わずに測量用丸太を運び揚げるという「実験」はちょっとやり過ぎではないかという気もした。いくら登山技術に熟達している人たちとはいえ、もし、ああいう場面で転落や落石事故に遭った場合はどうするのか。無事であったからよかったものの、あそこまで危険をおかす必要は無かったように思う。

 ところで、素朴な疑問であるが、剱岳の頂上に、なぜ三角点を設置する必要があったのだろうか。単に、剱岳の標高を測定することが目的であるならば、周辺の山々からの測量だけでも可能なのではないか。例えば、東京タワーのてっぺんの高さは、てっぺんに登らなくても測量できるはずだ。同様に、何もあんなに重い柱石や丸太を担ぎ上げなくても、例えば、頂上周辺の堅い岩に金属製のプレート(←あるいは地積調査などで使われる境界の杭のようなもの)でも測量できるように思える。ま、測量地点を半永久保存しておくためには丈夫なものでなければならないことは確かであるが。

 それはそれとして、今回の番組を通じて、改めて、三角点設置のご苦労ということがよく分かった。私自身が山登りしていてもしばしば感じることであるが、殆ど誰も登らないと思われるような山の頂上にも三角点が設置されていて驚くことがある。よく「三角点を踏む」と言われるが、そのときのご苦労を思えば足で踏むことなど畏れ多くてできっこない。信仰の対象になってもいいくらいだと思う。