じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2009年版・岡山大学構内の紅葉(8)楷の木の紅葉、今年は最良の予感 時計台横と農学部前の楷の木の紅葉。カイノキは雌雄異株であり、時計台の両側に2本の楷の木はいずれもメス樹である。そのため、実がいっぱいできる年は鮮やかさがイマイチとなる。今年は、私が観察した限りでは、例年より実の数が少なく、鮮やかな紅葉を楽しめそうな感じ。 いっぽう、農学部前のカイノキは、南にオス樹、北にメス樹があり、南側のオス樹(写真)のほうから紅葉が始まる。なおこれらの写真は11月6日に撮影したもの。11月7日からは、恒例の収穫祭が開催されている。 |
【思ったこと】 _91107(土)[心理]能動的離脱論の老後を目ざす(1) 10月に満57歳を迎えた私であるが、これを機会に、以前より温めてきた「能動的離脱論」のプログラムを本格的に始動しようかと思っている。 この「能動的離脱論」というのは、基本的には離脱理論の考えを踏襲するものであるが、離脱のプロセスのそれぞれにおいて、環境との能動的な関わりを重視し、かつ、それらの活動に一貫性、継続性を持たせるという趣旨である。 離脱理論や、これに対峙する活動理論については各所に説明がある。以下、こちらのサイトから、当該部分を要約引用させていただく。
自分の世界に閉じこもろうとする人は個人主義的、利己的であり、その一方、世のため人のために尽くすことを生きがいとしている人は賞賛され尊敬され、しばしば、叙勲や功労者として表彰される。しかし、だからと言って、前者が悪者というわけではない。前者であっても、他人に迷惑をかけず、かつ、徹底的個人主義を貫くことで充実した生きざまを示すことができれば、それはそれで他の人たちの模範となり、結果的には社会貢献する場合もありうる。また、後者の行動が社会的に賞賛されるのは、そういう形で社会的に望ましい行動を評価し、付加的に強化していかなないと、社会全体がうまく機能せず、子孫の繁栄が実現できない恐れが出てくることが理由の1つになっている。であるからして、少なくとも学校教育のレベルでは後者の生き方が推奨されるし、そのことに異を唱えるつもりは毛頭無い。しかし、定年退職後の高齢者に対してまで、一律に社会貢献を求めるのは酷であろう。というか、おおむねどの時代、どこの社会でも、高齢者に関しては多様な生き方が許容されている。もちろん、何らかの事情で、高齢になっても野宿者で、生き延びるための労働を 余儀なくさせられている方もおられるけれども。 ここで唱える「能動的離脱論」とは、基本的には、
不定期ながら、次回に続く。 |